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2013年5月

2013年5月30日 (木)

大学の国際協力活動への参加の評価(1)

5月26日に「JICA地球ひろば」で日本評価学会の春季第10回全国大会が開催されました。私は共通論題セッション「大学の国際協力活動への参加の評価」の座長と発表者を担当しました。

1990年代以降、大学が国際協力活動を積極的に展開するようになってきています。一方で大学の国際協力活動については、その成果をどのように評価するかについてはまだ充分な議論が行われているとは言い難い状況にあります。以下の2点が議論すべき点と考えています。

(1) 最近多くの大学が国際ボランティアや学生の海外活動を教育プログラムに取り入れるようになってきている。またインターンも盛んになってきており、これらをあわせて「サービスラーニング」という範疇で考える大学も出てきている。プログラムの大学教育の中の位置づけは、それによって何を達成しようというのかという目標にかかっている。それにあわせて学生の成績評価をどのように行っていくかも異なってくる。具体的には、①これらのカリキュラムの中の国際協力活動の目的、目標は何か、②そのように評価するのか、②これまでの各大学の取り組みはどのように評価できるのかなど。

(2)大学あるいは大学院それ自体の設置目的を国際協力に置いているところもある。これらは主に80年代末から設置されてきたもので、すでに20年以上の歴史を有する学部・大学院ものもあるが、この20年間の成果とは何だったのか。 具体的には設置目的は達成されたのか、どのような効果や社会的なインパクトがあったのか?

このテーマで活発な議論が行われましたが、研究を中心とした大学なのか教育を中心としているのか、大学の置かれた状況によって大学のがどのように国際協力に取り組めるかは大きく異なることが浮き彫りになりました。

まずは、私の報告と議論からご紹介いたしたいと思います。

1私は2004年3月まで国際協力銀行(99年までは海外経済協力基金、現国際協力機構)に勤務し、同年4月に大学に転職して今日に至っていますが、当初、大学の国際ボランティアの担当を指示され、ボランティアの科目化とともに、2004年と2005年の夏に東ティモールへの学生ボランティアを企画、引率し、孤児院の支援などの活動を行ってきました。事情があって2006年に国際ボランティアの担当から離れましたが、その後も、毎夏、研究室(ゼミナール)の学生を引率してインド、カンボジア、ラオスなど開発途上国における現地の人々とのコミュニケーションを重視した実習を実施しています。

この中で考えてきたのは、大学は「教育機関」であり、教育プログラムとしての成果を第一義的に達成しなければならない一方で、大学の国際ボランティア活動が海外支援活動である以上、援助機関やNGOの行う活動同様に、活動としての成果やインパクトの実現やアカウンタビリティーを確保しなければならない。この二つはどのように両立可能か、ということです。

2特に、大学がカリキュラムの中で、PDCAサイクルなど国際協力活動としての基本が確保されないままに進められているのではないか、人的制約の中、教員の専門性が十分確保されているのか、現地への安易な介入になっていないか、また現地への過大な負担を生じていていないか等をチェックすべきと考えていました。大学の場合、どうしてもスケジュールや内容を大学の事情に合わせざるを得ず、通常の国際協力活動以上の難しさがあると考えたからです。また、カリキュラムの中に組み込む場合、そもそも何を評価するのかについての共通認識を形成するのが難しく、「よくがんばりました」「やる気は素晴らしいです」というような「心情倫理」に流れやすく、学生と対教員の個別の関係性が評価に左右するなど問題があるのではないかと考えてきました。

何を評価するのかが難しいということはとりもなおさず何を目標とすべきか共通認識を得るのが難しいということです。ボランティアや海外実習を科目として設置する場合、大きく把握して3つの目標があると思います。

(1)問題発見、解決能力の獲得、向上:国際協力活動としての効果を評価することによる援助や介入の有効性を学んでいこうというもので、教室での座学と対になります。科学的方法論なども含めます。もう一つは参与観察的な学びによる問題発見で、実際の問題が何でどにような解決が可能なのかを学ぶことです。これれは、いわば臨床実習といっていいでしょう。分析能力や政策立案能力の向上も目指します。実は私もこの目標を第一義と考えてきました。

(2)コミュニケーション能力の獲得、向上:これは他者との関わりからコミュニケーション能力を目指そうというものです。他者への共感能力を育むことは極めて重要です。

(3)学生の変化の促進:主体的な行動や世界の諸問題の関わりへの意識を高めようというものです。これもきわめて重要だと思います。しかし、私のゼミの学生が質問表形式でデータを集めて卒業研究で分析したところでは、ボランティアへの参加あるいは関心の有無と社会的問題との関心度の間には有意な相関関係はありませんでした。

3そこで、問題になってくるのは実際に学生が活動を通じて何を学んでいるかということです。これまで、海外ボランティアなどの国際協力活動に参加した経験を卒業研究のテーマにした論文などや活動報告、あるいは直接ヒアリングで得られた情報を検討すると、学生が以下のようなことを学んでいることがわかります。

①支援側が「よい」と思うものを持ち込んでも、相手に内発的な動機がないと効果はあがらない(2004-05東ティモール)。
②モノやカネを持ち込む支援は「援助依存」を招くことがある(2004-05東ティモール)。
③エスニックな対立があるようなコミュニティーに安易に介入しているのではないか。
④「外部者が入ることで、本当の姿を見せようとするのではなく、あえて良い姿や悪い姿を見せようとすることがある」「外部者は、自分が見ようとするものを見て、住民は外部者が見ようとするものを見せるということになりかねない。(2010年卒 ネパール)
⑤住民と外部者の関係性が「支援する側と支援される側」であり、この関係は力関係においての「上位の者と下位の者」という関係性を作り出す。この関係性を作り出す原因の一つに、外部者の「上から目線」がある(2010年卒 ネパール)
⑥外部者の介入はしばしば地元の人間関係に変化をもたらすことに注意しなければならない(2009年卒、ケニア、インド、ネパール)
⑦カメラを構えることによって観察者の目線になってしまう(2009年卒、ケニア、インド、ネパール)
⑧ボランティアを単位認定するのはおかしいのではではないか

このような「学び」の証言から、上に述べた3つの目標を「弁証法的」に総合する視点が浮かび上がります。

(1)コミュニケーションが重要であり、途上国の人々と同じ方向を向いて同じ地平で考えなければ問題を発見することはできない。

(2)またコミュニケーションを通じて他者の立場への配慮を学ぶことができるが、これが学生の変化としてきわめて重要である。

(3)これらの問題の発見と変化を通じて学生、住民それを取り巻く社会(大学を含む)総体としての対処能力の向上を図ることができる(当然ここで支援・介入の手法の妥当性、友好性、持続性などを学んでいくことになります)。

このプロセスは国際協力における、JICAやUNDPなどが重視しているキャパシティー・ディヴェロップメントの考え方に沿ったものと考えられます。大学のミッションとしても矛盾なく両立できるでしょう。

(続く)

写真
(1)農作業:東ティモールでのボランティア活動(2005年)
(2)衛生教育:同(2004年)
(3)孤児院の修繕:同(2004年)

資料
予稿集「article_130526.pdf」をダウンロード
プレゼンテーション「presentation_ppt_130526.pdf」をダウンロード

2013年5月20日 (月)

授業ダイジェスト「地域研究アフリカ」(4)世界で最も知られているアフリカの言葉”Ubuntu"

アフリカの言語の分布を見ると、北部にはアラビア語系の言語が広がり、南部にはバントゥー系、ナイル系、コイサン系などの言葉が話されています。アフリカでは長期間にわたって「バントゥー大移動」と言われる民族大移動があり、この結果としてキクユ語やズールー語などのバントゥ系言語が、アフリカ西部、中部、東部、南部と幅広く分布しています。また、土地の言語とアラビア語が混成して商業用語から共通語(リンガフランカ)として広まったスワヒリのような言語もあります。

言語がしばしば民族の「断層線」になってしまいます。たとえば、2007年の大統領選挙後の暴動で世界中に知られることになったケニアの民族対立ですが、キクユ族(バントゥー系のキクユ語話者)ルオ族(ナイル系のルオ語話者)の対立が直接のきっかけになっています。ケニアで英語が幅広く通用し、英語話者が多いのはコミュニケーション上の必要性に迫られてだけではなく、対立を回避するという要素もあります。

2002_0830_181048aaところで、アフリカの言葉で世界で最も知られている単語はなんでしょうか? ジャンボ(こんにちは)、アサンテ(ありがとう)、カリブ(どういたしまして)などのスワヒリ日常用語はよく知られていますが、私は最も世界で使われているアフリカ語は、ズールー語の「ウブントゥ Ubuntu」ではないかと思っています。ズールー語はバントゥ系の言語で南アフリカでよく話されています。Ubuntuとは「他者への共感」や「思いやり」を意味しますが、Ubuntuは今、コンピューターのオペレーティングシステム(OS)として世界に普及しています。UbuntuはLinaxベースのOSですが、WindowsやMAcOSと異なり無償で提供されています。このOSを提供する事業の創業者が南アフリカ出身であることからこの名前がついていますが、企業の商業的な動機や独占に対して、人々の協力よって社会で共有されるようなインフラを提供していこうとする画期的な試みです。そしてこれがアフリカ発であるところに意味があると思います。「協力を基礎とした世界」。これは21世紀のキーワードになっていくでしょう。ラトーシュの「成長なき発展」などと同じ考え方です。私も"Development”に対して”Envelopment”を利用可能な資源が漸減していく世界での代替案として考えているところです。

2002_0830_202651aaアフリカにはこのほかにもスワヒリ語の「ハランベー」(みんなでがんばろう)というような他者への共感や協力の言葉があります。震災後日本では「和の精神」や「絆」が日本人の特性で世界に類例を見ない、というような文脈で語られることがありますが、これは一歩間違えると「日本人優越論」につながります。先日の猪瀬東京都知事のオリンピック招致にからめた「イスラム教徒は喧嘩ばかりしている・・・これに対し日本人は和の精神で」などという発言はまさにこのような、優越意識や差別感覚から出ていると思います。それはアフリカを「暗黒大陸」と決めつけたかってのヨーロッパ人と同じマインドセットというほかはありません。

アフリカから学ぶことは多です。

写真(1) 2002年8月のWSSD(持続可能な発展 世界サミット)でのイベント会場”Ubuntu”村

写真(2) Ubuntu村に集まる人々

2013年5月 5日 (日)

授業ダイジェスト 「地域研究アフリカ」(3)アフリカの自然と環境、緩和と適応

Photo「地域研究アフリカ」では毎年アフリカの自然から始めています。アフリカの多様性は自然の多様性でもあります。50度を超す灼熱の大地もあれば雪が降る山岳地帯もあります。2011年8月には南アフリカのヨハネスブルクで積雪があったというニュースがありました。自然はすなわち環境です。極端な気象現象が世界的に頻発していますが、アフリカもその例外ではありません。私が毎年行っているタンザニアでもここ数年大雨による水害の被害が多くなっています。日本ではほとんど報道されなかったですが、2008年の3月には洪水でタンザニア主要な輸出商品であるタンザナイト鉱山が水没し多くの犠牲者が出ています。2009年から2010年にかけてはタンザニアの中部のドドマからモロゴロにかけての地域が洪水に襲われ、私が調査に何回も行っているモロゴロ県のキロサの町が壊滅的な打撃を受けました。この災害についてはタンザニアの国別研究の授業で「途上国における災害と回復力」というテーマで再度論じたいと思いますが、貧困地域は個人はもちろんのことコミュニティーや行政にも資金的な力がなく、適切な復旧、復興の対応ができないでいます。

2013気候変動は人類の歴史を100万年単位で考えると、これまで約10万年の周期で氷河期と温暖期が繰り返され、さらにその間に小氷期のような変動が短い周期で起こっています。青森県の三内丸山遺跡ですが、現在では遺跡のある場所は冬になると零下の日が続き積雪に覆われます。衣服や暖房が十分になかった時代にこの寒さをどのように過ごしたか・・・と考えますが、実は縄文中期の約5500年前~4000年前は現在よりも温暖な気候だったのではないかと考えられています。

アフリカではアルジェリア南部、サハラ砂漠の真ん中にタッシリ・ナジェールの遺跡があり、新石器時代(約7000年前)に描かれた岩絵が残っています。この岩絵にはカバや狩猟の様子が描かれており、当時は現在のサハラ砂漠の地域が湿潤な気候だったことを物語っています。サハラ砂漠はこれまでも拡大と縮小を繰り返していますが、これは地球規模の寒冷化、温暖化の動きと連動しているようです。サハラ砂漠が拡大した時期にゴリラやチンパンジーなどの霊長類が熱帯雨林が残ったコンゴ盆地周辺に避難してきて、現在でもこれら希少な霊長類の生息域になっています。

Photo_2そのサハラ砂漠ですが、現在は拡大が続いています。サハラ砂漠の南につながるサヘル地域はこの最前線でそこに住む人々にとて砂漠化は大きな脅威となっていますが、これには数万年単位の自然の気候変動に加えて人為的な影響を否定でません。この地域にチャド湖という大きな湖があり、カバなどが生息し、住民も湖水に依存すれ生活を営んできましたが、中央アジアのアラル海同様、1970年代以降縮小を続けており、消滅が危惧されています。この湖水縮小の主な原因は自然の気候変動に加えて上流での灌漑用水の取水など人為的要因によるものです。

Photo_3気候変動に対しては「緩和(Mitigation)」と「適応(adaptation)」の二つの対応があります。「緩和」においては二酸化炭素の排出削減などの国際的な取り組みが行われていますが、中国やインドをはじめとる新興国、さらに米国も規制の枠組みに加わっておらず、実効性は大きく制約されています。このような状況から現在では、変動する気候に合わせてこれに「適応」しようという対応が重視されてきています。洪水の頻発に対する堤防の強化や水路の改良、気候温暖化に対する作物の改良などです。問題は「適応」には膨大な費用がかかり、ほとんどの貧困途上国ではその負担能力を超えています。

Photo_4したがって、「適応」だけではなく「緩和」も並行して実施しつつ、途上国の行う「適応」策に先進国や国際機関は十分な技術と資金の提供を行わなければなりません。さらに「緩和」について国際的に合意するために先進国が率先して二酸化炭素削減を行いつつ、途上国の貧困削減や先進国へのキャッチアップへの支援を行うことなしには国際的な合意の形成は不可能です。

アフリカのみならず途上国全体にいえることですが、アフリカにおける森林伐採をはじめとする略奪的な資源開発などの環境破壊は、先進国や工業国の需要に対応して発生しているものです。先進国にこそ今「責任ある豊かさ」が求められているのです。

写真(1)タンザニアの雨季・スコール
図 地球の長期的な気温の変動
写真(2)ケニア ナクル湖国立公園 シマウマ
写真(3)ケニア ナクル湖国立公園 フラミンゴ
写真(4)ケニア ナクル湖国立公園 サイ

<参考(推薦)書>

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