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2013年3月17日 (日)

震災から2年。3月11日「ルーテル教会救援・となりびと」報告会

震災2年目の3月11日、新大久保の日本福音ルーテル東京教会での「東日本大震災より二年を数えて礼拝と報告会」に出席しました。報告会は震災直後から始まった「となりびと」救援活動の2年間の総括と最終年度となる3年目の予定の説明です。私も2011年4月から「となりびと」に参加し現地に9回行きました。「何もできない」という感だけが強くなっていたのですが、礼拝での小副川牧師の説教は「なにもできなくても支援しようという気持ちと祈りがあれば・・・」というものでした。私が昨年行った花苗を持ち込んでの花壇づくりはそれなりに役に立っているようで安心しました。

以下、報告会での仙台常駐スタッフの佐藤文敬さんの現地報告メモを引用します。現在の被災地の状況や課題をコンパクトにまとめていただきました。

<佐藤文敬さんの報告引用:林がメモから再構成しました>

Dsc_00011.現在の深刻な問題の一つは、復興事業のための書類作成、整理など事務量が爆発的に増大していることである。特に土地や建物にかかわる書類の作成ができる専門職が、発注する行政の側も応札・落札する業者の側にも不足している。大槌町や陸前高田市では他の自治体から応援に来ていた職員が自殺するという事件が起こった。NGOにとっても事務は大きな負担になっている。

2.もうひとつは、復興工事のための資機材の需要が爆発的に増加していることであり、工事の遅延、価格の高騰による予算オーバーなどを招き、復興を遅らせる原因になっている。

3.仮設住宅の問題も引き続き深刻である。仮設住宅から出られる見込みが立たない・ん売

(1)集団移転の着工は全体の一割にとどまっている。岩手、宮城、福島の3県で津波浸水地域から内陸や高台での住民集団移転を予定する286地域のうち、造成工事に着手したのは2月末現在で33地域(11.5%)にとどまっている。用地確保の難しさや設計にあたる自治体職員の不足が事業の進捗を阻んでいる。工事の入札の日蝶がこれに追い打ちをかけている。福島県では原発事故による立ち入り制限地域がある関係で計画すらできていない。

(2)仮設住宅では一旦は機能し始めた自治会が崩壊しつつある。これは自立できる人から仮設住宅を出始めていることによる。自治会長などを務めることができる人は自立も早い。結局、自立困難な人が残され、自治会長を担えるひとがおらず自治会活動もままならなくなってきている。

(3)仮設住宅の立ち退きの問題も生じている。気仙沼市で7所帯が入居する仮設住宅では地権者からの立ち退き要請を受け、2014年1月までに仮設住宅を撤去することになった。この背景には仮設住宅がある地域は津波の被害を受けなかったために地価が上昇しており地権者としては売却したという意向がある。現在の仮設住宅住民は今年10月までに退去し他の仮設などに転居しなければならない。そのあと市が期限までに更地に戻す。住民の間では別の仮設で人間関係などになじむことができるかどうか不安の声が上がっている。

4.被災者のトラウマも深刻な問題である。ある被災者は「あの日のことを話そうとすると変な汗がどっと出てくると話している」。別の被災者は「なぜかわからないけど、必要なくても被災前に持っていたものをどうしても買いたくなる」と話している。またこどもが学校で「家なし」「親なし」と言っていじめられているケースもある。

5.このよう状況の中でまずそれぞれの地域で避難してきている人を気にかけていくことが必要である。被災地で活動を続けているNPOを支えること、被災地の物品を買い続けること、ときどき遊びにいくこと(お話を聞く「傾聴」が重要)、手紙・メールを書くこと、被災地の報道に敏感になり、反応することなども重要な支援である。

6.2013年度は3年間の「となりびと」の活動の最終年度にあたる。この一年(1)仮説、地元団体・グループ支援プロジェクトを通じて被災当事者による支えあう関係を支援すること、(2)被災した地域の復興のために、コミュニティーセンター・漁協倉庫再建などの支援を行う、(3)大震災から学び次の大規模災害に備えるための被災地スタディーツアーやセミナーなどの防災・減災力向上プロジェクトを実施いていく。

<引用終り>

活動期限がある組織的活動はその期限が重要ですが、その先は個人が課題を見つけて個人で対応していく段階になるのだと思います。悲惨な災害の中に一つだけ積極的意味を見出すことができるとすればそれは人々のつながりの、自分の隣人(となりびと)であることの確認だと思います。

私自身は前日のようにこれまで9回現地に足を運んでいますが、最初は住宅地の泥出し作業、続いて託老施設や保育園の復興のお手伝いをしました。そのころから趣味で育てている花を被災地に運んですこしでも雰囲気をよくする活動も行いました。また、石巻の社会福祉協議会など関係で支援物資の整理作業や英文のボランティア向け注意書きの作成お手伝いもしました。「となりびとの」英文資料作成などお手伝いしました。微力ではありますが、なにかの役にたったとしたら望外の幸せです。

Dsc_0002_4左の写真は、昨年3月石巻の仮設住宅でお茶会をやっていたときのものです。そこに地元の「河北新報」の記者が訪れて何枚か写真をとっていきました。まさか私が写っている写真が掲載されるとは思っていなかったのですが、恥ずかしい限りです。

(2012年3月11日 河北新報)

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