« ルワンダのジュノサイド | トップページ | ポスト「ミレニアム開発目標」 »

2012年5月25日 (金)

医学に近づく開発学

開発援助に本当に効果があるのかという設問への回答は難しいです。開発援助が経済成長を促しそれが貧困削減につながっているという研究は多くなされ、これらの研究をつなげればある程度の因果関係も明らかになってきてはいますが、さまざまな条件や援助方式の限定つきです。"Dead Aid"(邦訳「援助じゃアフリカは発展しない」)のダンビサ・モヨや"White Man's Burden"(邦訳「傲慢な援助」)のビル・イ-スタリーのような援助効果に否定的な言説もまだ支持を得ています。

ここ数年、援助の実験的評価手法による効果測定が話題を集めています。RCT(Randon Control Trial: ランダム化比較試験)は、プロジェクトやプログラムの支援(介入)を受けた対象グループと介入を行わないコントロール・グループの比較を行うことによって、より「科学的に」効果の測定を行おうとするものです。このRCT手法によって得られた知見をまとめたアビシット・バナジ―(Banerjee)とエスター・デュフロの"Poor Economics”は大変面白い本で、最近邦訳も出ました(「貧乏人の経済学」山形浩生訳 みずず書房」)。ただ、このRCTによる評価にも批判が出されており、代表的な批判者の一人である世銀エコノミストのマーティン・ラヴァリオンは、RCTで検証が行われる検証は限定されてケースでしかなく、サンプルの選択バイアスが避けられるように見えても、その場でわからない要因が影響しうること、対象グループとコントロールグループの間に情報が共有されたりする「スピルオーバー」が存在すること、試験で受益する人と受益から排除される人を意図的に生み出すという倫理的な問題を回避できないこと、などを指摘しています。

RCTはもともと治療法や薬の効果を試す方法です。対象グループには本当の薬を、コントロールグループには偽薬を投与して、両グループの間に統計的に有意な差があるかどうかを確かめて治療法や薬の効果を検証するものです。ラヴァリオンの批判を薬の治験に例えると、男女、年齢などをランダムにグループに分けても、たとえば体質とか他の病気などその場でわからない要素があった場合、それらが看過されてしまうのではないか、ということです。

この話をより拡大して、開発論と医学のアナロジーにしてみたいと思います。ラヴァリオンのRCTへの批判を敷衍すると「RCTは個々のプロジェクトの有効性向上のための制度設計に役立つかもしれないが、国全体のレベルでの貧困状態の改善という視点が欠けている。それは医学的に言えば対症療法に過ぎず、全体の健康状態や体質改善につながらないことと同じだ」ということでしょう。全身の健康改善を重視する考え方を開発論で言うと「マクロレベルでの経済成長や貧困対策の実施すべきだ」ということです。ジェフリー・サックスの「ビッグ・プシュ論=援助を大量に投入することが必要」という主張は全身症状の改善を大量の薬や栄養素で図っていこうとする治療に相当します。

これに対し、援助の大量投入に否定的、批判的なイースタリーやモヨの主張は「免疫機能の強化を通じて自然治癒力を強化すべきであって、薬物の投与は免疫力をかえって低下させてしまうこともあるので有害だ」ということです。

最近病院には「セカンド・オピニオン外来」を設置しているところがありますが、それだけ治療法というものがまだ確立していないということだと思います。肝臓にはシジミがいいといわれてきましたが、最近では「シジミは鉄分が多く症例によっては肝臓に有害である」という指導に代わってきているのは一つの例ですが、知見の進歩でアドバイスもどんどん変わってきています。何十万という臨床例がある医学ですらそうですから、サンプル数が限られている開発論で処方がバラバラなのは当然かもしれません。。

RCTの意義もラヴァリアオンのそれへの批判もよくわかりますが、科学的な証拠が必要であるという点において両者は共通しています。科学的証拠に基づかない開発論や貧困削減策はいわば「怪しげな健康法」のレベルなのでしょう。しかし、科学的データが揃わなければ開発を行うべきではないというのも間違っていると思います。あえて「怪しげな健康法」であっても取り組まざるを得ないことがあるでしょう。あるいは、日常の中での健康の常識的配慮が欠かせないように、概ね正しいと思われる政策を迅速に実施すること必要です。

スーザン・ソンタグの名著「隠喩としての病」では、がん細胞を体内の反乱分子(insurgents)と位置づけています。それには科学的な根拠は全くないのですが、含意は極めて説得的です。内戦で反乱分子を武力で鎮圧したり、経済的、社会的に孤立させるのは、がん治療では手術や強力な薬物療法に相当します。しかし、このような侵襲性の高い(invasive)な治療は免疫力の低下などの副作用を伴います。反乱がなかなか収まらなかったり拡大する要因になります。根本的にはがんも反乱も、内部のファンダメンタルズを正常にし、ストレスを軽減し、バランスを正常化することが重要です。その後、ポール・コリアーとエンケ・ヘフラーが紛争のモデル化を試みました。これは膨大なデータ分析を通じて得られた知見ですが、紛争が生じる要因として「機会」と「不満」を重視しています。これはソンタグから示唆されるものを裏付けています。「機会」は譬えれば生活上のバランス失調、「不満」は肉体的、精神的なストレスに相当します。天然資源から生ずる利権などは、好きなものばかりを食べてその結果として起こる事態にそっくりです。

私も何回か入院したことがあります。入院していると担当医が学生を連れて回診に回ってきます。そのとき「医学は人の命を救えるが開発学はどうなのか・・・」と考えていました。人の命を救うための開発学を目指していきたいと思います。

« ルワンダのジュノサイド | トップページ | ポスト「ミレニアム開発目標」 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。国際関係論を学習させていただいてます。またも拙いコメントで失礼します。政府開発援助も様々な利点と欠点を備えてます。インフラ整備や技術移転をしても、そのものを保持するに必要な絶対的な保証はされない。製造して設置しても、それを機能させるだけの保存や点検を手掛けるだけの技術力や専門家が現地にいないと壊れて、使えなくなる。
 日本の医療に関しては、先進医療が一本化されるようになりました。また、後期高齢者医療制度、国民健康保険も一本化が検討されていて、医療制度の円滑な実施を図ろうとされています。ついでに、少子高齢化が進展している日本は、死亡に関する保険給付について、従来は10万円の埋葬料を支給していたが、出産に関する保険給付は従来は35万円を支給していました(産科保障医療制度に加入している保険医療機関で出産した場合は39万円を支給していました)。しかし、少子化に歯止めをかけるため、埋葬料を半額の5万円に抑えて、その分を出産育児一時金を35万円又は39万円から3万円上乗せされた金額が支給されるようになりました。先進国である日本は、憲法に基づいてあらゆる法律が存在して、人を保護する。途上国の医療に視線を当ててみると、出産した母親にも、子供にも資金が用意されることはない。法律が及ばないから、ストリートチルドレンが増加したり、途上国では若年層が急上昇している。ペルーでは、永山財団によって、ストリートチルドレンの保護がされている。アフリカ大陸において政府開発援助で医療を提供することはできないのでしょうか? あるいは、ストリートチルドレンを保護する団体を提供することはできないのでしょうか? 政府開発援助の使い方について、計画性を持って国の経済を発展させ、国民を支援する政策を採ってもらいたい。

こんにちは。国際関係論を学習させていただいてます。またも拙いコメントで失礼します。政府開発援助も様々な利点と欠点を備えてます。インフラ整備や技術移転をしても、そのものを保持するに必要な絶対的な保証はされない。製造して設置しても、それを機能させるだけの保存や点検を手掛けるだけの技術力や専門家が現地にいないと壊れて、使えなくなる。
 日本の医療に関しては、先進医療が一本化されるようになりました。また、後期高齢者医療制度、国民健康保険も一本化が検討されていて、医療制度の円滑な実施を図ろうとされています。ついでに、少子高齢化が進展している日本は、死亡に関する保険給付について、従来は10万円の埋葬料を支給していたが、出産に関する保険給付は従来は35万円を支給していました(産科保障医療制度に加入している保険医療機関で出産した場合は39万円を支給していました)。しかし、少子化に歯止めをかけるため、埋葬料を半額の5万円に抑えて、その分を出産育児一時金を35万円又は39万円から3万円上乗せされた金額が支給されるようになりました。先進国である日本は、憲法に基づいてあらゆる法律が存在して、人を保護する。途上国の医療に視線を当ててみると、出産した母親にも、子供にも資金が用意されることはない。法律が及ばないから、ストリートチルドレンが増加したり、途上国では若年層が急上昇している。ペルーでは、永山財団によって、ストリートチルドレンの保護がされている。アフリカ大陸において政府開発援助で医療を提供することはできないのでしょうか? あるいは、ストリートチルドレンを保護する団体を提供することはできないのでしょうか? 政府開発援助の使い方について、計画性を持って国の経済を発展させ、国民を支援する政策を採ってもらいたい。

林先生こんにちは。コメントさせていただきます。
このブログの中に
試験で受益する人と排除される人を意図的に生み出すという倫理的な問題を回避できない」という文の「意図的」という言葉が胸に響きました。これはどの種類の援助でもそうだと思いましたし、援助を必要としている国の中から援助する国を一つに絞った時点で、私は自身でその他の国を排除したことになると思いました。その国を支援できたと考えれば、成功に思われますが、一方支援を必要としている人々が他にもいるということを忘れてはならないのではないでしょうか。また、医学が入ることにより、治る病気もあるでしょうが、医学もどんどん進歩していますし、一人ひとりきっとかかっている病気も違うので結局は、大勢として見るのではなく、ひとりひとりとして見なければ意味がなく終わってしまうケースもあるのかなと切ない気持ちにもなりました。確かに、自然治癒力も低下してしまうかもしれませんが、どちらかを取るのであるならば、私は薬を使って目の前の病気を治す方に賛成します。ですが、確かに長い目で見たときには、何ともいえませんが、、、。
とにかく、やはり免疫をつける為、病気にかかりにくくする為にも安全な水の確保や食料の支援に更に力を注がなければならないということも明らかになったと思います。
その為にも私達支援する側の人間もどの国にも平等に支援をしなければならないとも感じました。なぜなら、手のかけようによって、支援し終えた後の状況も変わるかも知れないと考えたからです。時には、隣国と争わせて今う結果になってしまうかもしれないし、また先進国の植民地的な存在(支援した分、アンフェアな条約を結ばせられたりなど)にもなりかねないからです。支援はただでさえ難しい問題なので、まずは支援する側の状況も整えなければと思います。医学は、本来多大なお金と時間がかかるものです。しかも進化」も続けますし、とても難しい内容だと思いました。

現在、政府が電子データベースを作成していることに驚きと、感銘を受けました。そうすることにより、よかれと思いしてきた間違った政策を減らせるのではないかと思います。しかし、一度行ってしまった状況を改善させるのは簡単なことではないと思います。きっと改善されたとしても、一方では借金が膨れ上がり困り果てている人も多くいるはずですし、そういった「失敗の政策」により苦しみ続けている人々を救う方法も考えなければならないでしょう。でないと、最悪、自殺する人々も増え続けるだろうし、支援によって貧富の差を広げてしまうのではないかと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/550886/54798686

この記事へのトラックバック一覧です: 医学に近づく開発学:

« ルワンダのジュノサイド | トップページ | ポスト「ミレニアム開発目標」 »

最近のトラックバック

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

Twitter