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2011年5月

2011年5月23日 (月)

東日本大震災の現場から(5):想定「できないこと」と「しないこと」

Dsc_0038 石巻から女川に向かって東に進むと徐々に被害の程度が甚大になってきます。牡鹿半島の付け根にあたる万石浦に入ると、そこは外海から狭い水道で隔てられた内海であることから被害は軽微になりますが、小さな峠を越えて女川町の市街地に入ると風景は一転します。海岸から二キロ以上の距離があるのに完全に破壊された住宅街、高さ二十メートルはあると思われる三階建てのビルの屋上に流された車、鉄骨の塊となって原型をとどめない工場。

Dsc_0059 女川駅を探しましたが。駅は跡形残さず流されており、停車していた電車は、一両が数十メートル流されて大破。もう一両は駅から二百メートル流されて高さ約十五メートルの墓地で大破しています。車両の重量は五十トンはあります。目の前に展開する風景はとても現実とは思えないものです。しかし現実として受け入れなければならないのです。女川の町は静寂につつまれていました。

石巻市北部の北上川沿いの大川小学校では児童、教職員それに父母の方々を含めて大きな犠牲を出しました。近くの北上川沿いまで行く機会がありましたが、堤防は破壊され、鉄板を敷いた仮設道路の上を通行します。北上川の川幅は広く、水面と周囲の土地との高低差は少なく、津波がどのように押し寄せたかを想像するだけで戦慄を覚えます。

このような想像を絶する被害はまさに「想定」あるいは「想像」の範囲外と言いたくなりますが、一方で、実際には想定されていたという指摘もあります。吉村昭著「三陸海岸大津波」が書店で平積みされています。私は40年ほど前の高校生の頃に同書を「海の壁」という題名で読み、津波の恐ろしさを認識しました。これは、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933)およびチリ地震津波(1960)を扱っていますが、いま読み返してみるとそこに描かれた津波の様子はまさに今回の津波そのものです。吉村氏の著書は40年前にご存命だった明治と昭和の三陸津波の経験者の方々の貴重な証言を集めたもので、その記述には津波が海抜50mの地点まで達したというものもあります。海抜50mは目測の誤りで実際には25m程度ではないかという指摘もありますが、25mであったとしても、女川のような壊滅的状況を招いてしまうのは明らかです。過去の事例からは想定の範囲内でしょう。

Dsc_0033 メディアでは最近9世紀の貞観地震の事例が取り上げられますが、これもすでに詳細な研究結果が公表されていました(産業技術総合研究所のニューズレターに掲載された宍倉正典氏らの論文)。原発事故も同様で、これまでにも地震と原発の危険性は多く指摘されていますが、1997年の石橋克彦神戸大学教授による論文「原発災害」はまさに現在の状況を言い当てています。

ただ、このように書いても、私は「想定できたことを想定していなかった」と指摘しようというのではありません。そのような問題設定が最近ではメディアでも見られますが、被害者の方に「あのときにこうしておけば」という思いをもたらすマイナスがあると思います。そうではなくて、「想定できることが想定されないメカニズム」は何かを考える方が重要だと思います。

吉村昭氏の著書では「大津波のあと高台に移転する人もいたが、津波の記憶が薄れるにつれて、逆戻りする傾向があった。特に漁業者にとっては家が高台にあることは不便が大きく、最初から高台移転に応じない者も多かった」として記しています(文春文庫版p.150 一部省略しました)。今回の災害でもこの問題は顕在化しており、女川町では町が高台移転の案を示したところ、漁業に従事する方から多くの異論が出されていることが報じられています。高台に町ごと移転するという計画は合意が難しいし、実施しても時間がたてば人々が平地に戻ってきてしまう公算が高いことが過去の経緯からも言えると思います。

Dsc_0040 復興構想会議の藻谷浩介氏(日本政策投資銀行)は、三陸が必ず復興できることを各所で主張しています。それは、三陸が「世界一の漁場」だからです。実は、このことが、上の問題を解くカギだと思います。人々が危険でも平地に住むのは、漁業の収益性が高くその方が便益が大きいからです。収益性が低い場所であれば、だれも津波の危険を冒してまでそこに住みません。

平地に住むことの便益は毎年の漁獲の増分として直接得られますが、災害の危険は確率的事象で、その発生が遠い将来のものであれば、合理的な判断として予想されるコストは経済学的には「現在価値に割り引かれて」相対的に低い評価になってしまいます。都市計画が絶対安全に近いものを目指しても、生活者は便益と費用=リスク(危険の確率と予想される損害額)の計算で場所を選び生計を立てていかなければならないというのが現実だと思います。この解決は、リスクの評価を行った上で、住民と行政が十分に協議を行い、リスクへの軽減策(緩和策あるいは適応策)を講じていくことでしか得られないでしょう。

ちょっと抽象的ですので、具体的な例を示したいと思います。地震後に報じられた宮古市鍬ヶ崎地区角力浜(すもうはま)町内会の事例(産経新聞4月14日)です。鍬ヶ崎地区は防潮堤がなく、津波が来たら危険な地域とい言われていたそうです。なぜ、防潮堤がなかったかといえば、場所がないので作れなかったという報道と、漁業への影響を懸念して作らなかったという報道がありますが、恐らくは「漁業への影響がないように防潮堤を作ることができなかった」ということではないかと推測します。角力浜町内会では、防潮堤がないことから、津波の際には避難するしかないということで、ハザードマップ作り、避難路の整備、高齢者のサポート体制を確立し、訓練を重ねてきました。この結果、津波で集落は甚大な被害を被りましたが、人的犠牲は110人中1名にとどまったのです。生計手段を維持する上でリスクがある場所に住むことはやむを得ないことではあるが、それを理解したうえで、徹底的なリスクの軽減策を講じてきた事例と理解できます。

Dsc_0073日本では「いくつかの選択肢の中でそれぞれのリスクを客観的に評価して、どの選択肢を選んだとしてもリスクの軽減策を講じておく」という仕組みあるいは考え方がまだ未発達なのではないかと思います。代わりにあるのは、ちょっとでもリスクがあると横並びで「中止」あるいは「自粛」してしまうか、それとは反対に「絶対安全なのでリスクはない」という断定や思い込みに流れる、両極端の傾向です。しかし、絶対安全を前提にシステムを作ってしまうと、リスクの軽減策が立案・準備できずかえって危険であることが今回の原発事故でも示されていると思います。

女川の方々が、それでも港に近いところに住みたいという気持ちはよく役わかります。一方で冒頭に記した壊滅的な光景や明治、昭和の大津波と三陸では被害が繰り返されていることを考えれば、「同じような災害は近いうちに再び起こりうるかも知れない」と考えて、被害を最小限にできるような施設や住居の配置を考えることも必要だと思います。つまり、確率は高めに見積もり、予想される損害の発生時期は遠い将来発生するのものではないと評価したうえで、リスクの軽減策を講じていくということだと思います。

軽減策の中で「緩和」と「適応」のどちらを重視すべきか、現実問題として予想が困難なリスクをどのように予想して対応するか、などについては、回を改めます。

写真
(1) 女川 3階建てビルの屋上に流された車。高さは20mか?
(2) 女川駅付近 キハ40型ディーゼルカー
(3) 女川市街地
(4) 女川港 鉄骨の塊になった港湾施設
(5) 北上川 この付近では堤防が破壊されている。鉄板を敷いた仮設道路を行く。

2011年5月18日 (水)

東日本大震災の現場から(番外):持主を探しています

被災されたお宅の後片付けをお手伝いしているとき一番つらいのは、子供の絵本やぬいぐるみ、ノートや図画工作の作品を捨てなければならない時です。もちろん、お宅に方にうかがってから捨てます。このために、ボランティアの作業にはお宅の方の立ち合いが必要です。少しでも泥を落として再利用したいというお宅もあれば、この際思い切って捨ててしまうというお宅もありさまざまですが、この過程でいろいろなお話をすることがあり、災害が起こるまでの生活誌をうかがうことができます。それぞれの家にはそれぞれの生活があり、人々の思いがしみ込んでいることに共感することは大切だと思います。

Imgp3908 津波はさまざまなものを流しましたので、作業中に見つかっても、そのお宅の持ち物ではないとがよくあります。石巻市大街道地区で作業をしていた時に、泥の中から古いビール瓶を見つけました。よく見るとそれは私の勤務する大学がある茅ヶ崎の酒蔵で、私も頻繁に足を運ぶ「熊沢酒造」が製造した「湘南ビール」でした。しかも未開栓です。なぜ、茅ヶ崎の地ビールが石巻の泥の中から出てきたのか? ビール自体は14年前の1997年に製造されたもので、ビールとしてはもはや飲めないでしょう。デザインが凝ったものでしたので、もしかしたらインテリアとして使われていたものかもしれません。通常ですと、このような物はゴミとして、瓦礫の山の中に打ち捨てられてしまいますが、このときは、お宅の方のご了承を得たうえで、持ち主を探すことにしました。

Dsc_0125 製造元の熊沢酒造様http://www.kumazawa.jp/に伺ったところ、湘南ビールの製造を始めた初期の製品で、茅ヶ崎の方が石巻の方に贈答されたものではないかとのことでした。授業でこのエピソードを話した後、昨日から文教大学湘南校舎http://open.shonan.bunkyo.ac.jp/図書館の入り口で今月末までの予定で展示しています。

茅ヶ崎市民、茅ヶ崎市は今、さまざまな形で被災地の支援を行っています。http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/18736/018738.html このビール瓶も被災地との連帯のしるしとなれば望外の幸いです。5月中は大学で展示したあと、熊沢酒造様にお持ちする予定にしています。

もし、お心あたりがありましたら、コメントしていただけると幸いです。

2011年5月15日 (日)

東日本大震災の現場から(4):「災害ユートピア」の限界を超える

ボランティアの作業現場、あるいは宿泊地となった石巻のテント村はある種の熱気に包まれていました。猛烈な悪臭の中の厳しい作業、過酷な居住環境にもかかわらず、ボランティアに参加している人はやる気に満ち、目は輝いていました。テント村は秩序も保たれ、災害に直面した経験がどのテントでも熱く語られていました。中には、ギターを持ち込んで連帯のメッセージを歌うグループもあり、夜10時を過ぎても歌い続けていたので思わず「キャンプと間違えるな」と言いたくなりましたが、テント村の秩序は全体としてよく保たれていました。そして、誰しもが、活動を終了して離れるときに「後ろ髪をひかれる」思いを語っています。

Imgp3926 このような熱気は支援にかかわったいろいろなところで感じることができます。私の勤務する大学でも、50名以上の学生が石巻周辺の大学「公式」ボランティア活動に参加しました(ただし、私自身は大学の「公式」活動には全く関与していません。一個人、市民としての活動です)。その学生たちが現在写真展を開催していますが、毎日夜遅くまで準備が行われ、展示されている写真からも学生の熱気が伝わってきます。13日には報告会が実施され、私は出張のため出席できませんでしたが、ツイッターでは報告会がいかに感動的だったについてのコメントや感情の発露が飛び交っていて、報告会の高揚した雰囲気をうかがうことができました。

このような「気分の高揚」は私自身も無縁ではなく、12日の国際関係論の授業を「震災特別セッション」として実施しましたが、だんだん声がうわずってきて、最後に結論として「人々が避難所で自然発生的に”ふるさと”を歌い始めているのはなぜか」を語る部分では、涙声になってしまいました。また、13日に阪大で会合があった時に、災害への対応に関し話をしたところ、西日本の大学の方から「温度差」を感じたというコメントがありました。私も気が付かないうちに、何か通常とは異なる精神状態になっていたのかもしれません。指摘していただいたことには大変感謝します。「災害に対応する中で気分が高揚する」。そのことが支援のモチベーションにつながるなら決して悪いことではないかもしれませんが、もう一つ考えなければならないのは、なぜ、平時から、他者への連帯や助け合いに同じような熱意を持てないのだろうかという点です。地域の高齢化、所得格差の拡大など、今回の災害の被害を増幅させた要因はこれまでも多くあったわけですが、それへの対応は「市場競争」や「グローバリゼーション」の流れの中に埋もれて、市民のアクションとしては、今回の災害対応のような大きな活動にはなってこなかったのです。

レベッカ・ソルニットRebecca Solnit(高月園子訳)の「災害ユートピア」(亜紀書房ISBN978-4-7505-1023-1 原題 A Paradise Built in Hell - The Extraordinary Communities that built in Disaster )はこの問題に一つの解答を与えています。

ソルニットはハリケーン・カトリーナ、メキシコ大地震、カリフォルニア大地震あるいは9.11同時多発テロなどに際し、人々が、人種、宗教、社会的階層を越えて支援のために集まり、市民が一致協力する特別のコミュニティーが形成されることを分析しています。人間は災害などに直面すると潜在的な共同性あるいは協働性を発揮することができる、と言い換えてもいいかもしれません。このこと自体は、何も悪いことではないと思います。「災害のもつ意味は人々に助け合いの重要性を教えることである」ことはこれまでも多くの文学やドラマのテーマとなってきました。日本のNGO活動が発展した一つの契機は1970年代のインドシナ難民問題です。ボランティアが大きな力を発揮し役割をになうようになったきっかけは1995年の阪神大震災です。NPO法が議員立法で成立したきっかけの一つも阪神大震災です。ソルニットの著書でも、災害が支援の仕組みや制度を発展させることを指摘しています。

ただ問題は、災害時に形成される「ユートピア」が、被害の予防などが必要な平時から存在しないこと、また、それが災害後、急速に風化してしまうことです。ソルニットは、市場優先の新自由主義政策が災害時の貧困層の状況を悪化させたこと、災害対応で市民社会の支援が積極的に行われたものの、それが貧困層を持続的にサポートするシステムの構築には結びつかず、相変わらず市場優先・民営化・自己責任の政策が続けられていることを指摘します。日本でも現時点でこそボランティアやNPOに関心が集まっていますが、平時はボランティアやNPOの財政状況は厳しく、行政の下請けで糊口をしのいでいるのが現実です。

ボランティアの中には災害や紛争への支援を主たる活動としているものが多くあります。そのこと自体は大変すばらしいことですし、私もできればそのような活動に参加したいと思っています。しかし、それは、やり方次第では「ユートピア」から「ユートピア」へ渡り歩くことにつながります。ツイッターで寄せられる感想の中には、いろいろな事情で参加できない方の焦燥感も伝わります。「ユートピア」形成に参加できる人とできない人の間で分断(devide)を作り出してはならないと思います。ボランティアをその先駆者的要素や自己犠牲の精神など、いろいろな言葉で称賛する声があります。それはそれでいいのかもしれませんが、気が付かないうちにボランティアに参加していない、いろいろな事情で参加できない人を暗に貶めたり批判したりすることになっていないでしょうか? このような分断は平時まで含めた市民の連帯形成には役立たないと思います。公共性の確保・構築にはすべての人が何らかの形で参加できる、包含的(inclusive)な方向を目指すべきです。そのためにも、私も含めてですが、「災害ユートピア」の罠について自覚的である必要があるでしょう。

平時における市民の連帯への公共への参加は引き続き大きなテーマです。震災への対応が、緊急支援の時期から、長期的な復興支援の段階になり、市民が税金などを通じ継続的に費用を分担していかなければならない段階でその真価が問われます。また、復興のみならず防災、減災を目指す町づくり、地域の産業の復興にも市民の力が試されます。

最後に、ソルニットの著書の結びのメッセージをご紹介したいと思います。

「1906年の地震で焼け落ちたある大邸宅では、石の門扉が立ったまま残った。その入口は、その廃墟がたたずむ丘のかなたの町全体を縁取っていた。災害も公的機関や社会構造を崩壊させ、その向こうに横たわるより広い眺めを見えるに任せることがある。わたしたちがすべきことは、門扉の向こうに見える可能性を認知し、それらを日々の領域に引き込むように努力することである」(邦訳p.440 一部省略しました)

写真:石巻ボランティアセンター(石巻専修大学)でのマッチング。住民からのニーズに合わせてチームを募る。輸送運搬手段の確保も重要。

2011年5月 9日 (月)

東日本大震災の現場から(3):支援の順序、政策かニーズか?

ボランティアに参加する中で、さまざまな課題があることに気が付きました。そしてその多くが、現在、開発途上国への支援で議論されていることと共通の要素を含んでいます。今回はその報告をしたいと思います。

Imgp3875 前回書きましたように、ボランティアの作業の中心は石巻では泥出し作業です。泥出しは、まず使用不能になった家具や畳をを運び出し、家の中に5センチから10センチの厚みで積もった泥を土嚢に詰め込み捨てる作業ですが、問題は家具、畳、家電製品、土嚢などを捨てる場所です。まずはその家の前、それで足りなければ空地あるいは家主が復旧を断念した家の周辺などに積み上げられていきます。一件のお宅の作業は10~15人のグループが3~4時間かけて作業を行い、200~300袋の土嚢が発生します。これらの災害ごみは重機を使用しなければ撤去することはできません。ボランティアの手に負えるものでは到底なく行政の仕事です。しかし、膨大な量の瓦礫と泥の山を前に、行政の撤去作業は遅々として進みません。作業の人手や機械が足りないこともありますが、瓦礫や泥の捨て場が不足していることが大きな理由です。瓦礫や泥が片付かない限り、悪臭の発生はやまず、住民が再度居住できる条件は整いません。

これも前回書きましたが、床板を外して行う作業は、釘の踏み抜き事故が多いことから、禁止になりました。やむを得ない措置だとは思いますが、住民の方にとってもボランティアにとっても、せっかく泥出しをてしても、それだけではその家を引き続き使う目途が立たないという、隔靴掻痒の状態に置かれてしまいます。

Imgp3932住民の方から見ると、このほかにも、「本当にこの場所に住み続けることができるのだろうか」という不安があります。家の損壊度によっては、再建を断念し放置されている家が多くあります。そこは瓦礫の山になっています。隣にそのような場所があればとても住める環境ではありません。あるお宅では、一階部分が浸水し、幸い泥出しだけで原状復帰に近づきましたが、壁に隣家の車が乗りあげて突き刺さっていました。隣家は破損の状態がひどく、どうやら放棄するようで、まだ何も手が付けられていません。しかし、この車を撤去してもらわない限り、その先の作業はできず、見通しも立たないのです。車を撤去するためには重機を乗り入れることが必要ですが、積まれた瓦礫や土嚢の山に阻まれて、作業がままならないという現実も一方にあります。

さらに、住民の方には津波被害を受けた住宅地への居住が制限されるのではないかと不安がよぎります。地盤沈下を起こした地域全体のかさ上げが行われるのではないか、などという観測が流れていました。

まず、復興計画の全体計画があって、それを実施する工程表も従い、役割分担を決め順次実施する。支援に参加するパートナーは、この計画と工程表に歩調を合わせて(アラインメントを確保して)分担する。これは「援助協調」として援助の立案と実施で現在世界的に目指されている方法です。確かに、この通りに順を追って実施できれば、混乱や手戻りがなく、理想的に作業は進むかもしれません。

Imgp3885一方で、現場は、そのようなグランドデザインを待ってはいられません。とにかく、今、手をつけられることが実施するほかはありません。ボランティアはいても立ってもいられませんし、被災者の方も、ボランティアと協働することによって、すこしでも前に進んでいるという実感を持ちうるのです。「政策や制度が先に来るべきだ」。途上国援助でよく言われるこの考え方は、現場の実感と離れているのではないかと危惧します。現場では目先にニーズが一番重要なのです。この二律背反は解決し難いかもしれません。私もボランティアに参加するまでは、もともと公共財政管理を専門にしていたこともあり政策や制度を重視する「援助協調派」でしたが、自分の中でも今、考え方が揺らいでいます。

Imgp3900 もう一つ、「顔の見える援助」の議論に関係した事項があります。石巻でみているとさまざまなボランティアが来ていました。目立つのが、大型バスの側面に大きく「○○○支援団」などと大書きして、参加者もお揃いのユニフォームで乗り付けているグループです。ある程度の大きなグループは多かれ少なかれ、グループの「旗」を立てようとします。これは、その支援者へのアピールなどの配慮などからある程度はやむを得ないと思います。NGOやNPOの場合には、広報は活動の持続性を確保し安定的な資金源を得るためにも不可欠です。したがってこのこと自体に異論を唱えるわけではありません。大学などの場合には、ボランティア活動を広報に活用して、学生募集につなげたい意図もあるでしょう。これも批判するようなことではないと思います。

ただ、このような「顔の見える援助」を志向するボランティアの対極にある孤高の人々について一言書いておきたいと思います。今回、多くの単独の、組織のバックを持たないボランティアの方が来ていました。愛知県、山梨県、三重県・・・比較的時間が自由になる職業や自由業だったり仕事を長期間休んだりとさまざまですが、何か行動を起こしたくて現地駆けつけた人々です。すでに数週間活動を続けている人も多く、ボランティアのリーダーとして大きな役割を果たしてしまいました。私もこのようなリーダーのもとで作業しましたが、「スコップの使い方が悪い」「手際がよくないねえ」などと叱られ続けていました。ただ、作業が終わったと「ありがとう、さっきは言いすぎてすまない」と寄ってきてくれて感激しました。

これら孤高のボランティアは旗を立てたり、ましてやホームページで活動報告したりしません。ボランティアあるいは支援の基本の精神の一つは「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」(マタイ6章3節)だと思います。この精神を体現している人々から多くを学びました。ただ、助け合いしたくて駆けつけ、決して言挙げをしない彼ら、彼女らに代わって、ここで一言ですが記録にとどめておきたいと思います。

写真
(1)少しでも空き地があるとそこは瓦礫の捨て場になります
(2)家から泥出しした土嚢もうず高く積まれます
(3)流された車の撤去も遅れています。車が撤去できないと、後片付けに着手できない場所も各所にあります
(4)重機による瓦礫、土嚢の撤去作業がようやく始まりました

2011年5月 5日 (木)

東日本大震災の現場から(2):ボランティアのマネジメント

昨日(4日)石巻から帰りました。泥だらけの作業でしたが、帰るときは後ろ髪をひかれる思いでした。石巻専修大学のキャンパスに設けられた石巻のボランティアセンターと仙台の教会を拠点に活動しました。石巻市の社会福祉協議会で働いているメンバーもグループの中にいたので、ボランティアのマネジメントの難しさも垣間見ることができました。

メディアの報道でもありましたように、連休中に全国から多くのボランティアが来て、対応能力を超えてしまったボランティアセンター(以下VC)もあったようです。石巻のVCでも「新規受け入れ中止」のアナウンスがなされましたが、それでも、全国から来たボランティアを断ることはできなかったようです。一方で、市内の住宅の泥出し等の作業はまだ手つかずのところが多く、今後、高温になり梅雨時を迎えると衛生上の問題が深刻になることから対応が急がれているのも事実です。膨大な需要に対して限界のある受け入れ能力という矛盾が課題として明らかになっています。

Imgp3864 石巻の場合、まず新規のボランティアはVCで登録し、ボランティア保険に入っていなければそこで加入の手続きをします。一方、住民の方からはボランティアの支援要請が行政経由で寄せられています。ボランティアをしたい人にその日の作業を割り当てる「マッチング」という調整が先ず必要です。10人程度の大きなグループで来ているボランティアの場合には、そのままチームとして作業に向かうことができますが、少人数や単独のボランティアの場合には、どこかのチームに入れてもらうことになります。中には「親方」のようなベテランのボランティアがいて、毎日チームを編成しています。私も最初は少人数のグループだったため、愛知県出身の「親方」のチームに入れてもらいました。日雇い労働者に似ています。

このマッチングですが、ボランティアが訪問したときに、そこに依頼した家主がいることが条件です。どのような作業をするか、何を捨てるかについては家主の指示を仰ぐ必要があります。しかし、災害後、家主が行政と連絡を取ることは容易ではなく、また連絡をとれたとしても、細かい日程調整を迅速に行うことも容易ではなく、ボランティアが現場に到着しても家主がいないために作業ができないというような「ミスマッチ」が生じます。私のグループでもそういうケースが一件ありました。ご高齢の女性で、携帯電話をお持ちでないことから、急なご都合の変更に対応できなかったようです。その場合には、改めてVCに連絡して、新しい作業の指示を仰ぐことになります。

Imgp3866 チームのリーダは、VCの調整係の方からその日の作業場所、作業内容を示した連絡票を受け取り、作業置き場でその作業に必要な道具(スコップ、バケツ、一輪車など)を借受け、土嚢袋を受け取って指定された場所に向かいます。VCと市内は3キロほど離れていますから、そこまでの交通・運搬手段が問題です。グループで車を持っていればそれに乗り込み、積み込みますが、交通・運搬手段がなければ現地に到着できません。したがって、マッチングを行う際には交通・運搬手段の確保も考えなければなりません。VCではバスも出していますが、それに全部乗せることはできません。

このように。ボランティアと仕事をマッチさせる作業は至難です。連休中1000人から1500人のボランティアが毎日来るということは、多ければ100チーム前後が活動することになりますが、それに適切な作業や道具、交通手段を提供をするVCのスタッフはわずか20人ほどのようです。VCは地元の社会福祉協議会が主体ですが、ご自身も被災された方がいらっしゃる中で、大変な激務になってしまうのです。

Simgp3880 VCの仕事はこれだけだはありません。安全基準も示さなければなりません。荒天の場合には当日の作業の中止を決定します。作業内容も重要です。私も当初は床板を外して、床下の泥を除去する作業をしていましたが、床板を外す時に釘が付着していて、これによる踏み抜き事故が多いことから、床板を外す作業は禁止になりました。これはまず家主の責任で外すべきということです。側溝の泥の除去も要望は多いのですが、これは行政の仕事という仕切りがなされ、各チームに通達がなされました。ただし、私有地の側溝がこの限りではないようです。

私の参加した「東日本大震災ルーテル教会救援」からもVCにお手伝いにいっていますが、人手不足はいかんともしがたいところです。しかし、まだ石巻はよい方で、いくつかの自治体では連休中は対応できないとしてVCを閉めてしまったところもあるようです。調整側の事情で、くボランティアの支援を求めたいという需要とボランティアをしたいという希望(供給)が十分あるのに両者をマッチできないというのは大変残念なことです。これにはシステム的には難しい問題があるのです。

Simgp3892 VCのシステムは阪神淡路大震災の経験から広まり進化しつつあります。確かに災害時には調整の担当者が多数に必要になりますが、平時からこのシステムを維持しておくのは難しいのです。毎年のように自然災害はどこでも起こりますが、一つ一つの自治体で、どんなことが起こっても即応できる人員を常備しておくことはできません。一つの解決は、全国の社会福祉協議会でネットワークを作って「有事」の即応体制を整えることだと思います。

それ以上に重要なのは、大学やボランティア学の役割です。VCの運営や必要な検討事項、準備、資源の動員などを知識として整理し、標準的なモジュールを作っておくことが必要でしょう。そして、必要な場合には教員や学生を、授業を休んで動員できる体制を作り上げることです。特に学生にとってはボランティアに参加すること自体が、教室では経験できない学びの場になります。さらにVCのマネジメントに参加することは、組織の運営に関するまたとない学習のチャンスになると思います。今回、石巻専修大学にはVCに場所やその他の施設を提供していただいていますが、これも災害時の大学の役割として重要です。私自身、国際ボランティア学会のメンバーであり、また、NPOやボランティアに関する科目をもつ予定ですので、頑張りたいとい思います。

もう一つ、ボランティアのマネジメントはそのまま、援助のマネジメントの問題につながります。現在、開発援助の世界で議論が行われている「援助協調」、またその背景にある「援助の氾濫や拡散」にどう対応するかという問題に重なります。次回はこのテーマを議論したいと思います。

写真説明

(1)石巻VC受付(石巻専修大学)
(2)チームが活動地へ向かう
(3)泥出し作業前
(4)泥出し作業後
なお、(3)、(4)については家主の方にご了解を得ています。

2011年5月 1日 (日)

東日本大震災の現場から(1):災害の「法と経済学」

4月23-25日、4月29日ー5月3日の予定で、石巻を中心にボランティア活動をしています。「東日本大震災ルーテル教会救援」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のメンバーとして、仙台の教会、および石巻専修大学に設けられているボランティアセンターを拠点として、民家の泥出しなどの後片付けを手伝っています。研究者という立場ではなく、市民としていたたまれずに活動に参加しました。場所は主に石巻の海岸に近い「大街道」の住宅地です。現地は約2mの津波が押し寄せ、大多数の住宅は押し流されずに残ったものの、一階はほぼ完全に水没し、泥や浮遊物、工場から流れてきた資機材に埋もれてしまいました。

泥の厚さは5センチから10センチで水を含んでたいへん重く、かつ汚泥特有の悪臭が鼻をつきます。飼料や肥料の袋が散乱し、製紙工場から流れてきたロール紙やパルプが作業を阻みます。流れてきた飼料米は泥と混ざって発酵し猛烈な汚物臭を発生させます。化学物質やアスベストの恐怖とも戦わなければなりません。15名ほどのボランティアが約4時間ほどかかって、ようやく使えなくなった家具や、流れてきたゴミを片付けて、床板が見えてきますが、さらに床下の泥を出さなければなりません。そこまで行なって、ようやく、その家を改修して使えるか、それとももう放棄せざるを得ないか住民の方が判断することになります。

これまで、数軒のお宅のお手伝いをしましたが、住宅ローンを残しているケースも多くあります。気の毒なの場合は入居から数カ月から数日で被害にあっています。国会の予算委員会でも質疑がありましたが、まさにゼロからの再出発どころではなく、「マイナスからの再出発」なのです。

個人の住宅は事業用の資産については、さまざなま支援制度はありますが、基本的には、保険金、貯蓄、ローンなど、個々人が対応しなければなりません。しかし、それは被害にあわれたかたにとっては気の遠くなるよう負担です。なんとか、社会全体でサポートする仕組みはできないか・・・・?

そこで「自然災害による住宅や事業用資産の喪失は国家がすべて補填する」という制度を考えてみたいと思います。先日書きましたように、国家というのは基本的に「保険メカニズムです」。長生きというリスクに対応する制度が年金であり、外敵の侵入というリスクに対応するのが国防システムですから、国家が自然災害に対するリスクをプールするということを宣言することは不思議ではありません。当然、国民は保険金、すなわち追加的な負担を行わなければなりません。税金で運営するか、地震保険を拡大し強制加入するような制度にするか、細かい制度設計はとりあえず措いておきます。

「法と経済学」(Law and Ecomnomics)という学問において、一つの原理となっているのは、もっとも容易もしくは安価に危険を回避できる当事者に危険の負担を配分するということです。建物の売買契約が成立していても、また引き渡しが行われていない間に火事等で喪失してしまった場合には、売り主の負担で契約を履行(再建、代替物の提供、代金の返還等)を行わなうことが適切です。なぜなら、まだ売り主が建物を管理しており、売り主がもっとも適切に火災を防止しうる立場にいるからです。これがあるから、売主は引き渡しまで、細心の注意を払わなければなりません。これは、火災の発生を減少させ、社会的にも好ましい結果が得られます。

災害に場合、国が防災あるいは現在のための公共政策の主体となっており、予算も付けられています。個人、企業に比べ、国の方がより安易に災害を防止しうる立場にあることは明確です。天災はきわめて気まぐれです(これについては後述します)。したがって、誰も「明日は我が身」と考えれば、増税などの追加的負担は社会的合意を得られやすいでしょう。なにかあっても、国がサポートしてくれる、というシステムがあれば国民は大きな安心感を得ることができるでしょう。相手が自然災害ですから、保険メカニズムにひそむモラルハザードの問題もそれほど深刻ではありません。

国が災害の損害を全部補填しなければならないとした場合、その効果として考えられるのは「国がこれまで以上に、防災、減災にむけた公共政策に取り組むようになる」ことです。国としては災害が起これば負担が生じますので、それを少しでも少なくしようというインセンティブがこれまで以上に強くなります。

ただ、一方で、これまで以上に、国が、「危ない場所」への居住を制限する政策を打ち出してくるかもしれません。「自己責任でいいからここに住みたい」という主張する国民との利害調整の問題がでてくるかもしれません。また、原子力発電所の事故のようなケースでは、自然災害なのか、それともある程度企業の過失に帰すことができる事象なのか、解釈の難しいケースがでてくるでしょう。ただ、その場合でも、国が原子力の安全規制等についても、これまで以上に注力する効果は期待できると思います。

日本は災害の多い国土で、いつ何が起こるかわかりません。国民の安心、安全を確保するためには、日本は日本独自の制度を構築しなければなりません。国家の役割を最小限にして小さな政府を目指すのは、大規模災害が頻発する日本の「風土」に向いていない考え方であるといわざるを得ないと思います。

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