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2011年1月

2011年1月15日 (土)

成長するコロンビア

Simgp3693 1月10日から16日までコロンビアの首都、ボゴタに来ています。毎年1月に実施される「国際開発ネットワーク(GDN:Global Development Network)」の年次総会が今年はボゴタで行われており、これに出席するために来ました。成田からワシントン経由、乗り継ぎ時間を含めれば24時間を要し、南米は遠いことを実感します。首都ボゴタはアンデス山脈につらなる山の麓に位置しています。市の東側にそびえる山の一つ、モンセラート山にはケーブルカーやロープウェイで登ることができます。山頂からは町が一望でき、特に夜景がきれいです。Simgp3761

コロンビアは長年、左翼ゲリラの活動が盛んで内戦状態でした。その背景には貧困と貧富の差があります。大地主が土地を所有し、自警団(私兵)を擁して貧しい人々から土地を略奪する一方で、体制変革を求める左翼ゲリラが貧しい農民の支持を集めて武装闘争を繰り広げていました。誘拐よる身代金やコカインの栽培などがゲリラの資金源なり、また山がちな国土がゲリラグル―プに格好の隠れ場所となることなどが紛争を長引かせました。地主も自警団を強化してこれに対抗していました。コロンビアは治安の極めて悪い国という評価が長い間定着していました。

しかし、コロンビアの首都、ボゴタは現在極めて安定していて、内戦の影はありません。2002年に就任したウリべ大統領は市場経済をベースにした自由主義政策を掲げ、まず左翼ゲリラの撃退に動きました。一方で地主の自警団も禁止して武器を取り上げました。国家が武器を独占すること、言い換えれば国家が「唯一の暴力装置」となることが治安回復の基本です。しかし、それだけではなく、ウリべ政権が重視したのは法の支配と民主主義です。

ウリべ大統領は2010年大統領選挙で3選を目指しましたが、憲法裁判所の判断で3選が禁止されたことから、国防相だったサントス氏が後継として選挙に打って出て当選しました。大統領も憲法裁判所の決定に服するというのが、ウリべ大統領の法治主義の表れです。治安の改善の結果、現在では年率4~5%の成長率を続けており、ラテンアメリカでも最も成長率の高い国の一つになっています。ボゴタ市内では建設工事が各所で進み、活況を呈しています。

今回のGDN年次会議の開会に際して、サントス大統領がスピーチを行いました。そのスピーチの中で大統領は「民主主義による安全の確保」(Democratic Security Program) を強調し、社会的な一体性(social cohesion)やすべての人々に繁栄の恩恵がもたらされることを重点政策として説明していまた。また、国の開発戦略としては農業と食糧確保、鉱業による発展、インフラの整備などが示されてました。サントス大統領は経済学者としての経験もあり、経済政策的な整合性が確保されていることがよくわかります。国の指導者がこれだけはっきりとした方向を示すことができるというのは素晴らしいことです。写真は演説するサントス大統領ですが、普段着のラフな格好で訪れたのは驚き、感動しました。Simgp3775

コロンビアはまだ所得の不平等が大きくリスク要因も抱えていますが、政治がはっきりとした方向を示している限り、成長を続けていくことが可能と思います。政治家の現実的感覚とリーダーシップはグローバル社会の中で一国が生き延びていくためには不可欠です。コロンビアは長引く内戦という不利な環境の中で問題対処能力を向上させてきました。これに対し、日本は1980年代までの恵まれた国際政治・経済環境の中で、リーダーシップを持った人材を育てる意識も、現実的な国際関係や国家に関する感覚も失なったのではないでしょうか?それは資源の輸出に依存する国々の多くが良いガバナンスを確保できていないことに似ているとも思います。

2011年1月 8日 (土)

スーダンの南北分離レファレンダム

みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末、年始、時間が取れなくて更新が滞りすいません。

さて、今年最初の大きなニュースになりそうなのが、1月9日から実施されるスーダンのレフェレンダム(住民投票です)スーダンは北部のアラブ系(イスラム教)と南部のアフリカ系(キリスト教・アミニズム)の対立が1956年の独立以来途絶えることがなく、2度にわたり内戦がありました。1983年から始まった第2次内戦は2005年に南北が包括的和平に合意するまで続きました。2005年の合意で南部の独立を問う住民投票が行われることになり、5年間にわたり今日までその準備交渉や作業が続けられてきました。日本のマスコミに扱いは例によって大きくありませんが、BBCなどでは連日トップニュースに準じた扱いです。http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12136851 もし分離独立が成立すればアフリカでは1991年にエチオピアから分離独立したエリトリア以来となります。

住民投票は有権者登録を行った南部住民により1月9日から一週間にわたって行われ、60%の賛成を持って分離独立が承認されることになります。現在のところ、分離独立が多数となることはほぼ確実な情勢です。現スーダン政府のバシール大統領(国際刑事裁判所からダルフール紛争をめぐって逮捕状が発出)は先週、南部の中心地ジュバを訪問して、最後の「分離独立反対」のキャンペーンを行ったようですが、バシール大統領も結果を受け入れざるを得ないというのが、国際的な見方です。

ただ、まだ不確定要因があります。スーダンの貴重な輸出資源である石油の取り扱いです。石油産出の80%は南部からです。特に、石油を産出する中部のアビエ地区では有権者登録すら実施できない状況です。南北の境界線はまだ多くの地域で未確定で、今後、「国境紛争」という形での紛争の再燃を危惧する声が多くあります。石油資源と裏腹の関係ですが、対外債務の処理も大きな問題で、これまでに累積しているスーダンの対外債務の負担を南北でどのような比率にするかも、石油資源の配分をどうするかという問題とリンクしていて解決が難しいです。

この住民投票は「南部の独立」と捉えられていますが、実は南部スーダンだけではなく北部スーダンも国としてのアイデンティティの変更を余儀なくされますので、実質的に新しい国家を南北とも創っていかなければならないことになります。もし分離すれば北部はイスラム教、南部はキリスト教という区別が鮮明になります。そこで、懸念されているのは、北部スーダンではイスラム法(シャリア)が厳格に適用され、非イスラム教徒が迫害されるのではないかということです。シャリアの強化は、バシール大統領が既に言及していることもあって、北部に在住する非イスラム教徒(BBCによれば約150万人)の間で動揺が広がり、南部への脱出が始まっています。今後、非イスラム教徒の弾圧が強まれば、国境線の再変更要求と結びついて、紛争の火種となることが予想されます。

もうひとつの問題はダルフール紛争への影響でしょう。もし南部が独立すれば、ダルフール地方の住民の間でも独立要求は高まると予想されますが、北部スーダン政府はこれ以上の領土の喪失を食い止めようと、悪名高い民兵組織ジャンジャウィードを支援しながら独立派に対する弾圧強めていくことが予想されます。

もっとも明るいニュースがないわけではありません。北部スーダンでは石油収入が激減した場合に備えた開発政策への模索が始まっています。そのひとつが農業です。http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12128080 資源収入のマネジメントは難しく、「資源の罠」とも言われるように、貧困削減に結びつかず、腐敗や紛争を激化させていまう危険性があります。一方、農業開発は貧困な農村地域の生計向上に結び付けていくとこができます。

スーダンの南北分離は開発と資源の問題です。「一国がその領域内における枯渇性資源に対する独占的・排他的な権利を有する」という事実上の国際ルールが問題の根源です。紛争予防の見地からも、これからますます希少性を帯びてくる資源の国際管理の問題は避けて通れないということです。南部スーダンが、もし石油資源の独占に成功したとしても、それは、よっぽど気をつけない限り「第二のナイジェリア」になる危険性が大きいといえます。

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