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2010年6月

2010年6月25日 (金)

政策の一貫性(Policy Coherence)

6月16日に経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)による、日本の援助の対日審査報告書が発表されました。外務省のWEBサイトに概要が掲載されています。

DACでは相互審査(ピアレビューpeer review)という方式で加盟各国の援助政策や実施状況の審査を行っています。加盟国が交替で審査委員を務めます。今回の対日審査は1999年。2003年に続くもので、今回の審査委員はドイツとデンマークが務めました。デンマークというのはなんともいえないタイミングですね。

私は前職では審査を受ける立場でした。2003年の審査の際には米国、EUが審査を担当し、審査委員から次から次へと飛んでくる厳しい質問に答えました。今から考えると極めて的確な指摘が多かったと思います。2003年の審査では、改訂された日本のODA大綱が途上国の貧困削減よりも日本の国益を重視しているのではないかという指摘があり、また国際協力機構(JICA)と国際協力銀行(JBIC)に援助実施が分かれていること、援助の政策形成や実施が、農業、運輸。教育、保健などといった分野毎(つまり担当の省庁ごと)に行われており、分野横断的な貧困削減などへの取り組みが弱いことなどが批判の対象となりました。

今回の審査ではJICAとJBICのODA部門の統合、外務省の組織再編など、改善があったと評価された項目がかなりありました。一方で、改善がないと引き続き指摘されてしまった項目があります。それは「政策の一貫性(policy coherence)です。

援助のみならず。貿易や移民、投資や平和構築など、対外政策が矛盾なく一貫していて、全体として途上国の開発を助けるようになっているかどうかが、開発における対外政策の一貫性として問題にされています。よく批判されるのは途上国の農村開発に支援を行いながら、そこでつくられた農産物の輸入を制限したり禁止したりするケースです。これでは農村開発の効果は減殺されてしまいます。移民労働者の送金は現在では途上国への資金の流れとしては援助よりも大きなものになっていますが、途上国からの移民を制限する政策は、途上国の発展に制約を与えてしまいます。

日本は、その援助額の大きさに比べて、途上国からの農産物の輸入や労働者の受け入れにきわめて後ろ向きです。2003年の審査では、政策の一貫性がそもそも政策として掲げられておらず、政府の中でそれを検討したり推進したりする仕組みがないことが問題になりました。今回の指摘も全く同じです。日本は対外政策の一貫性を確保する気がない国だと思われているのです。この背景の一つには農業などに代表的な国内配慮の最優先があります。また、外国人嫌い(ゼノフォビア)の感情が根強いこともあります。しかし。資源も市場も外国に依存している日本がそれでいいのでしょうか? 外務省の発表も、政策の一貫性の問題はさらりと記述していて、とても真剣に取り組む姿勢があるとは思えません。 

さらに重要なことは、そもそも国内政策、対外政策を問わず、現在の日本には一貫した政策体系がないことです。鳩山前首相が国連で高らかに宣言した温暖化ガスの25%削減と高速道路無料化は明らかに矛盾しています。政策ではなく有権者の歓心を買うためのばらまきリストではないかという問題は、今にはじまったことではありません。諸政策の整合性を確保するという公共政策として極めて初歩的、基礎的な部分に問題を抱えているのが、今の日本の現実です。

2010年6月21日 (月)

広場のない日本の都市

サッカー、オランダとの対戦は惜しかったです。最初は「勝ち目がないのでかえって安心して見られる」などと考えていましたが、予想以上にいい試合だったので途中から手に汗を握ってしまいました。

ところで、いつものことですが、試合後サポーターたちが渋谷などの繁華街で騒いで、警察が出動しているニュースが報道されています。このようなニュースを見ていつも思うのは「日本の都市に広場がない」という問題です。

ヨーロッパの街には必ずと言っていいほど広場があります。市庁舎の前だったり、大きな教会の前だったりとさまざまですが、市民が集まってきて、市(マーケット)が立ったり、さまざまなイベントが行われたりします。広場でワールドカップなどのパブリック・ビューが行われるところもあるようです。それが行われなくても、試合が終わればサポーターたちは広場に集まってくるでしょう。

S2004_0509_106 写真はオランダのデルフトの教会・旧市庁舎前の広場です。2004年5月に行きました。デルフトは画家フェルメールや法学者グロティウスの出身地として有名です。残念ながらここでパブリックビューが行われたどうかはわかりませんでしたが(一応デルフト市のWEBサイトを見てみました)、日本に勝ったあとサポーターたちが繰り出したであろうことは想像に難くありません。このような場所がない日本のサポーターはたいへん気の毒です。

広場はラテン語ではフォーラム(Forum)で、そのまま英語になっています。そして、現在のフォーラムの意味が示すように、広場は商品のマーケットだけではなく、さまざまな意見、政治的主張などが交換される場でもあるのです。権力者が一方的に決定を通知する場になることもあるかもしれませんが、一方で民衆が蜂起する発火点になったりもします。1989年12月、ルーマニアでは、独裁者チェウシェスクを支持する目的で召集された広場の集会から革命が起こりました。オバマ大統領がチェコのプラハで行い、ノーベル平和賞が与えられた「核兵器のない世界」の演説も広場においてでした。

日本が抱える大きな問題の一つは、政策のマーケットがないことです。さまざまな政策が、十分なバックグラウンド調査とともに提起されて、十分に公開の討論が行われて、市民が参加することにより積極的に政策形成が行われるいう政策討議の場(Policy Space)です。これがないため、政策形成は官僚に依存することとなり、「官僚支配の打破」を叫んでも掛け声倒れになってしまいます。広場の文化を持たなかったため政策形成が歪められている、と言い切ってしまうのは言いすぎかもしれませんが、政策形成における官僚の役割は、町に繰り出したサポーターたちを「取り締まり」の対象としか見ない警察の対応に二重写しになります。

広場がない町では、人間関係は企業、官庁、学校などの組織によって分断されたままです。インターネットはこのような閉塞状況を打破するのではないかとという意見もありましたが、日本では「匿名掲示板」という陰湿なサイバー空間が大きく発展し、人間関係の分断はより深まっています。

都市に広場を! これが政治改革の第一歩です。

2010年6月20日 (日)

DevelopmentとEnvelopment 夕張から日本そして世界の将来を考える(6)

夕張から日本そして世界の将来を考える連載を続けてきました。この連載の冒頭で書きましたように、これは、6月5日に北海道大学で開催された、国際開発学会春季大会共通論題セッションでの私の問題提起に発端しています。それは簡単にいうと以下のようなことです。

(1)Development(開発、発展)を問い直す方向での議論が行われている。その時、考えられなければならないのは、そもそもdevelopという動詞がどのような意味を持っているかである。それは、「折りたたまれていたものを広げる」ということであり、「折りたたむ・包み込む」というenvelopがその反対語になる。

(2)現在のdevelopmentの考え方は右肩上がりの上昇局面を前提にしている。貧困削減の前提は経済成長であり、ミレニアム開発目標(MDGs)を達成するためには、2002年3月のモンテレイ開発資金会議で合意されたように援助の大幅な増額が前提とされている。しかし、日本をはじめとする先進諸国の人口構成の変化(高齢化)、成長鈍化と財政赤字の増大などによって援助増額ばかりでなく、途上国製品の市場としての発展性にも限界が見え始めている。中国も早晩高齢化が深刻な問題となる。石油の供給もピークを打ったという見方がある(メキシコ湾の事故の影響でオフショアの石油開発にストップがかかりそうなので、この懸念は予想よりはやく現実化するかも知れない)。

(3)一方で、developmentに伴うリスクが巨大化しつつある。社会が高度化することによってライフラインが張り巡らされているが、何かアクシデントがあった場合には極めて脆弱である。世界中がマーケットで結びつくことはチャンスを生み出しているが、同時に、アイスランドの火山噴火によってケニアの雇用が影響されるような事態、金融危機や上述のメキシコ湾の石油流出事故のように、企業の事業活動でありながら、何かが発生した場合には一企業の対処能力を超えた影響を世界中が被るという、グローバル・ガバナンス上かなり深刻な事態が生じている。

(4)上記のような、下降局面(down turm)や巨大リスクに関して有効な対処法、実行可能な政策枠組みなどは、まだ形成されていない。これらへの対応を考えることは急務であり、それを「見える」化するために、Envelopmentという概念を提唱したい。下降局面に対処しリスクをコントロールすることがその概念の中核である。

ちょっと挑戦的'(provocative)な言い方でしたが、夕張でそのアイデアをより具体的にまとめることができました。下降局面で上昇前提の需要予測を行ったこと、企業の事業リスクが事故が生じた場合の対処能力を超えていたこと、リスクの負担者が不明確であったこと、公共部門が最終的な対処を余儀なくされたことなど、この夕張の連載で指摘した問題は、developmenttがもはや困難な局面で、なおもそれに依拠したことによるのではないかと思います。現在、夕張は再建途上です。高齢化が進む一方、自治体と市民の役割分担の見直しも進みつつあるようです。

夕張に限りませんが、日本が、世界でも、最も深刻かつ進行している財政赤字、高齢化などの問題に対し緩やかにそれらをコントロールして「包み込むenvelop」ことに成功すれば、新たな日本モデルとして貢献できるかもしれません。これからも、日本の「地域おこし」の取り組みは順次報告しますが、「地域おこし」が高齢化や地方経済の衰退に歯止めをかけているかといえば。残念ながらそう言いきることは難しいと思います。しかし、高齢者が活躍できたり、地域資源を生かすことによって地元の方が生きがいを見つけている様子を見ると、少なくとも問題を「包み込むenvelop」ことには成功していると思います。

Sdsc_0240_2 夕張新鉱は1975年に出炭をはじめた最新の鉱山で安全対策も万全のはずでした。しかし、1975年7月に早くも5人の死者を出したガス突出事故が起こります。1981年10月16日に生じたガス突出、それに続く爆発、構内火災で93名の犠牲者を出します。これがきっかけで北炭は倒産。産炭地としての夕張も命脈が尽きました。

爆発事故のあと、まだ生存の望みをつないでいた家族に、坑道に注水して消火するするということが伝えられます。家族は泣き崩れたそうです。このあたりの話は胸が痛みます。

この事故の背景には、国の炭鉱政策によって北炭が無理な出炭を強いられたためであるという指摘もあります。経済成長の重要性はもちろん否定しないですが、同時にリスクの管理も極めて重要です。事故で家族を失った場合の人々の痛手は大きいです。ましてや開発途上国は所得が低いため、個人や社会のリスク対処能力は極めて低くなっています。さまざまなリスクを包み込むことに重点を置かなければなりません。

写真は坑道の入口です。「空気を通してほしい」という遺族の願いで密封されていません。傍らに慰霊碑がありました。手を合わせて一礼し、夕張を後にしました。

(結)

2010年6月19日 (土)

夕張から日本そして世界の将来を考える(5) 公共の再定義

夕張の不適切な予算・会計処理の一つとして翌年度予算からの借入を行って赤字を隠していたいたことを書きましたが、現在の日本は「将来の世代からの借入」を行っているといってもいい状況で、本質的には何も変わりません。今年度は92兆円の財政規模に対して税収等の歳入は37兆円しかなく、それをはるかに上回る44兆円を国債に依存しています。政府部門の累積債務残高はGDPの180%に達しようとしています。夕張で進行してきたような、投資的経費、その他の歳出の大幅なカット、公務員の削減などは、実は明日の日本の姿かもしれません。ようやく、各政党とも「消費税増税」に正面から向き合うようになってきましたが当然のなりゆきです。国家の財政破綻の恐ろしさはこれまでもアルゼンチンなどの前例がありますが、バルト3国などでもIMFの支援を受けながら、公務員の給与の7割カットなどが行われた国があります。最近でも、話題になったギリシアだけではなく、スペイン、イタリアさらには英国などでも財政危機がとりざたされ、公務員の削減を含も、歳出の大幅なカットが行われようとしています。

夕張市役所の前の花壇で花を植える作業が行われていました。市民の方のボランティアだそうです。これまで、世界どこでも、さまざまなサービス、施設の提供さらには需要の創出に至るまで、「政府」にその役割が押しつけられてきました。しかし、財政という「打出の小鎚」が失われつつある今、何が「公共」で誰がそれを提供するのかということをゼロベースで問い直すことが迫られています。市民が自ら公共とは何であるかを提起し、その提供の担い手になっていくということです。課題はどこまで市民がそれを自発的にできるかということだと思います。このような考えると、抽象的な「新しい公共」の考え方も見えるようになってきます。

Sdsc_0200 夕張市の東側、夕張川に沿った谷沿いに、三菱が開発した大夕張の炭鉱地帯が広がっていました。その一つ、南大夕張では、夕張では最後になる1990年まで採炭が続けられていました。閉山後、炭鉱鉄道の車両が保存され、「産業遺産」に指定されています。管理は地元のボランティアの方々です。保存状態も大変よく、入念に手入れされていることがわかります。英国では、鉄道を始めとする多くの産業資産がボランティアやNPOの手によって保存されています。日本でもそのような芽が出てきつつあることを実感しました。

夕張にはさまざまな産業資産が残っています。観光地としてはまだまだ活用できる資源があると思います。そのような中、夕張の窮状を逆手にとって、廃墟や財政破綻の原因となった施設を回るツアーがあるのをあとで見つけました。http://www.yubari-resort.com/green/plan/doc/ コースはだいたい私がまわったのと同じようです。逆説的ですが、こういう「地域資源」の活用方法も注目できます。

(続く)

2010年6月17日 (木)

夕張から日本そして世界の将来を考える(4) 予測の難しさ

プロジェクトを実施するときに一番難しいのは需要予測です。私自身、現職の前は開発途上国への経済協力の仕事をしていて、さまざまなインフラプロジェクトの需要予測の検討や妥当性のチェックなどを行っていました。需要予測でもっとも一般的なのは国内総生産(GDP)を変数にする方法です。需要がGDPの伸びにどの程度反応するかという対GDP弾性値を使う方法などがあります。弾性値は過去のデータから推計しますが、問題はGDPの成長率をどう見込むかです。

前項で夕張の破綻の要因として、産炭地の後始末を押しつけられたこと、リスクの最終的負担者の役割を担わされたことを指摘しましたが、もちろん観光事業への投資が過大であったことも否定できない事実です。そして、その背景に過大な需要予測があったことは疑いえません。

Sdsc_0090 夕張市が投資した施設には前述の石炭の歴史村やスキー場などのほか、ロボット科学館、遊園地などがありました。写真は石炭の歴史村の裏山に展開していたバラ園ですが、すでに閉鎖されており荒れ放題です。この付近は炭鉱全盛期には炭住街が広がっていたところです。背後の山腹の階段状の構造にその名残をみることができます。もう一枚の写真は、廃校になった小学校を転用した宿泊施設ですが、これもすでに閉鎖されています。

Sdsc_0094 石炭の歴史村の駐車場のスペースは広大で、どれだけ多くの観光客の入りこみを見込んでいたかをうかがい知ることができます。写真の廃校転用の宿泊施設、大型ホテルなども同様です。

ただ、これらが計画、建設されたであろう1980年代から90年代の初めでは、まだバブル期あるいはそれ以前の経済成長見込みで需要予測が行われていたはずです。1990年以降の「失われた20年」の間、経済成長率が極めて低く推移してきていますが、現在の経済成長率を基準に過去の計画が過大な需要予測をベースにしていたと批判するのは「後知恵」でしかないと思います。

公共部門が実施するプロジェクトは、財政が「最後の資金の出し手」として期待される場合には、予測が大きすぎた場合のリスクが軽減されるため。その事業の必要性、採算性を説明するために需要が大きめに予測される傾向が指摘されています。東京湾アクアラインもそのような事例の一つです。しかし、最初から経済成長をゼロ、あるいはマイナスにして予測すべしという主張は、「失われた20年」を経た現在だから言えることです。

ただし、これからはこのレッスンを生かすべきです。需要予測は慎重にならざるをえません。国内は既に人口の減少過程に入っています。j消費しない(できない)高齢者が増えているだけではなく、「草食系」と言われるように、これまでの「大衆消費社会」のマインドセットとは一線を画す若い人たちが増えています。世界を見渡しても、米国の借金頼りの消費も限界が見えています。中国は急速に人口の老齢化が進むでしょう。

これまで、"develpment"の考え方は、常に右肩上がりの世界を前提にしてきました。貧困削減も経済成長を前提にしています。しかし、世界経済の成長を前提にして需要予測を行ったり未来図を描いたりすることは、そろそろ危険な領域に入っています。右肩下がり(Down Turn)を前提とした貧困削減や世界の平和構築を描くべ時に来ているはずです。これが二つ目の"envelop"の意味と言えるでしょう。

2010年6月15日 (火)

夕張に日本そして世界の将来を見る(3) リスクの抑制と負担原則

メキシコ湾の原油流出が止まらず、沿岸、洋上に被害が広がっています。事故を起こしたリグを保有していたBP社に対する非難も高まり、今期の配当中止という事態に追い込まれそうです。あまり考えたくはないですが、損害賠償額がBP社の支払い能力を超えた場合が問題です。湾岸の原油除去や被害補償は誰かが行わなければなりません。最終的には納税者の負担、もしくは被害者の「泣き寝入り」が強いられることになると思います。また、BPに投資していた機関投資家、最終的には年金などの受給権利者にも大きな影響を及ぼします。また、当然、米国、英国以外にも波及していきます。

石油事故は汚染物質が目に見えるのでわかりやすいですが、金融もまったく同じようなことです。一企業の事業活動が、その企業では負担できないようなリスクを含んでおり、そのリスクは国境を越えて世界中にばらまかれています。一方で、リスクの管理や、保険メカニズム、最終的な損害負担者についてのルールはまだ確立されていません。これはグローバルガバナンス上の深刻な問題と言えます。

実は、夕張の問題も、規模こそ小さいものの似たような側面があります。石炭産業は基本的に民間会社の活動ですが、中央政府(経産省)が石炭政策を立案、実施したり安全規制を施行し、民間企業はそれに従う立場にありました。一方で、炭鉱の労働者や家族を含めた地域社会の面倒を見なければならないのは自治体(地方政府)です。企業活動がそのリスクから生じた損害を負担しきれず行き詰った時に、後始末の負担が自治体に行ってしまったと言う構図です。

Sdsc_0242 写真は1987年に閉山になった北炭の真谷地の炭鉱従業員住宅です。「炭住」というと木造のアパートのイメージがありますが、この炭鉱は80年代まで操業していたため、一見マンションのような近代的なものです。この住宅ですが、まだ少数の方が住んでいます。資料から見る限りでも、実際に足を運んで観察した範囲内でも、高齢の方が中心のようです。

1981年の大事故のあと1882年に閉山になった北炭新鉱は、最盛期には2000人の従業員を抱え、家族まで含めば5000人~10000人が暮らせる近代的な炭鉱住宅をもってました。夕張市清陵町と呼ばれる場所を中心に、いまでも大規模な住宅団地が残っています。

炭鉱の閉山で3/4の人が夕張を離れたと夕張市の資料にありますが、逆に言うと1/4が残ったということです。多くは新たな就業先を見つけることが困難なケースであったと推察されます。炭鉱住宅の多くは夕張市に引き取られ市営住宅となりました。その数は現在1万人程度の人口規模対し5000戸以上だったとされています。北炭の病院も市立病院となりました。これらは、多くの人がとりあえずは夕張に住み続けざるを得ない状況ではやむを得なかったと思います。また、夕張市が支払った買収費用が、倒産で解雇された従業員の退職金や遺族への保証金の原資になりました、それがなければ、従業員は無一文で放り出されることになったはずです。しかし、これは市の責任でしょうか?

市営住宅の多くが現在空き家になっています。一方で維持費がどんどんかさみます。収入の途のない高齢者が家賃を払うのはたいへんです。夕張市の財政再建計画書には、市営住宅の合理化や未払い家賃への対処が書かれていますが、問題の深刻さをうかがうことができます。

Sdsc_0101 人口が減り、炭鉱からの所得がなくなれば、当然、炭鉱従業員を顧客としていたサービス産業も大打撃を受けます。この写真は炭鉱が健在だった当時、夕張でももっともにぎやかな町の一つだった若菜ですが、現在では営業している店はごくわずかしかありません。炭鉱会社の事業活動内容は地元の自治体が関与しうるものではありませんが、企業活動の不可欠な従業員の生活を支援するためにインフラを整備したり、撤退後の後始末をしたりするのは自治体です。リスクテーカーと最終的な負担者の不一致が、夕張でも大きな問題なのです。夕張市が住宅、病院その他の買い取りに費やした費用は150億円を超えるとされています。「石炭産業の後始末を国が負担してくれれば、今の夕張の苦境はなかったはずだ」。今回、お話を聞いたお一人が嘆いていました。

では、夕張の場合どうすればよかったのか。後知恵ですが、国(中央政府)が負担すべきだったとしか言いようがありません。「法と経済学」によれば、「リスクの最終的な負担者はそのリスクを最も容易に回避できる当事者に割り振るべき」ということです。その場合、もちろん第一義的には最終負担者は北炭であるべきなのですが、それが倒産あるいは支払い能力なしということになれば、次は、エネルギー政策や安全管理で責任があったはずの中央政府が負担すべきことになります。

企業活動のもたらすリスクは巨大化しています。偶発的(contingent)な事態に備えるような仕組み、例えば保険のようなものが不可欠ですし、リスクそのものを、回避するのではなく、管理して封じ込めるメカニズムが必要です。それをグローバルなレベルで確立していかなければなりません。今まで、野放図に展開(develop)していたものを折りたたんで封じ込める(envelop)ことが必要とされるのです。そしてこのdevelopとenvelopの対概念こそが、これからの開発を考える上で重要です。

(続く)

2010年6月13日 (日)

夕張に日本そして世界の将来を見る(2) 財政破綻の本質

Sdsc_0035 写真の壮大な建物は夕張市役所です。人口1万人あまりの自治体としてはあまりにも巨大ですが、もちろんこれは人口が減ってしまった結果です。以下は夕張市が作成した「夕張市の概況(平成19年)」に拠ります。

夕張市は夕張川の谷間にあって農業には適していませんが、農産物としては1960年代からメロンの栽培がはじまり、全国的にも有名になって、現在では夕張市の農業生産額の95%を占めています。しかし、基本的には明治以降の炭鉱開発で発展してきた町です。1970年代、石炭が斜陽化する中で産炭地振興臨時措置法などによる補助を受けながら、「石炭から観光」へと開発の方向性を大きく変更しました。観光施設としてはスキー場、遊園地、石炭のテーマパークなどが建設されました。工業団地開発なども手がけましたが成功しなかったようです。

これらの観光施設は産炭地振興法などの補助があったこともあり、投資が過大になる傾向があったことと、閉山に伴う就業問題を解決するために雇用創出も重視したものであったことが、「赤字体質」を生んでいくことになります。そのような観光施設の一つが「石炭の歴史村」です。このテーマパークの中心は石炭博物館で、石炭産業がどのようなものであったをわかりやすく展示してあります。

Sdsc_0046_2 石炭博物館は産業遺産を扱った博物館としてはきわめてユニークなもので、炭鉱の技術的側面だけではなく、炭鉱で働いていた人々の生活もテーマとしています。1981年に起こった北炭夕張新鉱のガス突出事故(後述)についても大きなスペースが割かれています。しかし、私が行ったときは、平日ということもありましたが、訪問者はまばらでした。入場料は1300円もします。この施設は、当初夕張市の第3セクターで運営されていましたが、それが自己破産したあと、夕張市の直営を経て、現在は指定管理者方式で民間会社が管理を受託しています。しかし、経営は苦しいようで、安定的な経営には至っていません。SL(蒸気機関車)の展示もあったようですが、指定返上がなされて、現在では参観できません。1980年に開設されたこの石炭の歴史村への訪問者はピークの1995年には52万人を数えましたが、2006年には22万人に減少しています。夕張市への観光客も1995年の231万人から2006年には116万人と半減しています。

夕張市の財政破綻はこのようなハコモノ投資が一因です。これに、不適切な会計処理が加わりました。年度の変わり目の調整期間に、翌年度から前年度に貸し付けを行うような操作を行い、実際には民間銀行から借り入れを行っていました。また、起債の規制を回避するために「空知産炭地域総合発展基金」から借り入れを行うなど、粉飾といっても過言ではない操作によって「赤字隠し」が行われたのです。粉飾で赤字を小さく見せるところは、現在問題になっているギリシャに通じるところがあります。それが明るみに出て、公務員の削減のみならず住民にとって痛みを伴う調整を行わなければならないことも同様です(ギリシャの場合はこれからですが)。

いずれにしても歳入規模が10億円しかなく、人口規模から行っても約40億円が標準的な財政規模とされる自治体で、再建計画の開始時点では353億円の解消すべき累積赤字が特定されました。これを2006年を基準として2024年までに解消する再建計画がスタートしましたが、前途は多難です。まず、市の職員は2006年の309人から2009年には147人と半減以下になり、さらに賃金カットです。市税や施設料金の学校の統廃合、その他住民サービスの削減が余儀なくされています。市内にはいたることろに廃校になった小中学校が残されています。

夕張市の破綻を採算予測の甘いハコモノ投資、放漫財政、粉飾操作などと片付けるのは容易です。しかしまず、それをとりまく「仕組み」に問題がなかったどうかを再検証すべきでしょう。それは以下のような点です。

(1)産炭地振興臨時措置法の補助それ自体に「ハコモノ」投資を促進するようなメカニズムが埋め込まれていたのではないか。つまり、「形で検証できる」施設の建設が先行されたのではないかということです。同じような話は3年前、沖縄でも聞きました。基地対策等の補助が結局はハコモノ建設につながっているというのです。ODAの国際協力プロジェクトでも同じような問題があります。経常経費部分を支援対象とすることができないので、どうしても固定資本の形成に投資が向かってしまうのではないか。例えば、教育プロジェクトでも、教員の給料や日常的に使う教材への支援が困難であるところから、校舎などの設備に重点が置かれてしまうという問題です。

(2)なぜ、このような「危ない」自治体に民間銀行が貸付を行ったのか。これについてはBISの自己資本比率規制との関係を指摘する意見もあります。地方政府が起債できないために参加の公企業を通じて借金を行ったケースは1997年の中国でありました。中国の場合には、「企業は企業、地方政府は地方政府、地方政府は何も保証していない」で逃げ切ってしまったのですが・・・いずれにしても「政府」の信用をどう評価するかは難しいです。

(3)石炭政策は中央政府(通産省)が決め、大企業がそれを担ったのですが、リスクや費用の負担を自治体が押し付けられた緬があったのではないか。おそらくこれが最も大きな問題ではないかと思います。次回はこの問題についてじっくり考えてみたいと思います。

(続く)

2010年6月12日 (土)

夕張に日本そして世界の将来を見る(1)

6月5日と6日に国際開発学会の春季大会が北海道大学で開催されました。パラレル・セッションのチェアを担当したり、共通論題セッションで「大胆な」問題提起をしたりと、充実した二日間でした。その問題提起ですが、一言で言えば、『今後、全世界的な「下降局面(down turn)」が避けられなくなる事態がかなりの確率でありうるので、そのような事態に備えて、"development"( 開発・発展)の反対概念について議論を深めておこう』という若干挑戦的なものでした。

ブログでもこの問題を議論したいと思います。ただ、その前に、学会の翌日の7日に夕張に行ってそこで考えたことをお話ししたいと思います。論点としてはに直接関係します。

夕張には36年前の1974年に行ったことがあります。まだ学生の頃で、当時の「カニ族」、いまでいうバックカーの北海道旅行でした。夕張には当時まだ北炭(北海道炭鉱汽船)や三菱などの炭鉱で採炭が行われ、石炭輸送には当時すでに珍しくなっていた蒸気機関車が活躍していました。石炭産業は1960年代をピークに石油への転換や輸入炭とのとの競争に押され、「スクラップ・アンド・ビルド」と言われる通産省(現経産省)の政策によって閉山が相次いでいましたが、「ビルド」として最新技術による新規開発も行われていました。      Sdsc_0020                  

 今回、 札幌でレンタカーを借りて、かっての石炭列車が走った旧夕張鉄道(北炭の系列会社)の跡をなぞるように夕張市街に入りました。まず、訪れたのは、かって石炭輸送の基地だった鹿ノ谷駅です。活気にあふれていた構内は、線路が一本だけとなり、人影もありません。石炭列車が発車待ちをしていた場所は、深く雑草に覆われていますいます。

駅前にもかっては賑わっていて、街並みにその面影をみることはできますが、やはり閑散としています。一日数本の列車が来るだけの駅前ではにぎやかになりようがありません。

Sdsc_0032 夕張市は現在は1万3千人ほどの人口で全国でももっとも人口が少ない「市」の一つです。しかし、かって石炭産業が最盛期だった1960年代には12万人近い人口がありました。

夕張が全国的に注目されるようになったのは2006年に財政破綻が大きく報じられ、2007年に再建団体に転落したことによるものです。これは、全国的に地方経済の衰退と地方財政の難しさを象徴する出来事と受け止められ、「明日は我が身」という感覚を呼び覚ましました。

この夕張市の出来事に、(1)産業の消長、(2)雇用の確保と公的部門、(3)人口の高齢化と財政、(4)地域開発計画の実行とそのリスク、(5)国家の産業政策と企業、地域などさまざまな論点が含まれています。その意味で、日本全体のみならず、途上国の開発を考える上でも、貴重な示唆やレッスンが含まれています。これらについて、あと2回ほど連載していきたいと思います。

(続く)

  

2010年6月10日 (木)

シルクロードの新たな支配者

昨日の日経新聞にドバイのエミレーツ航空が、現在世界最大の旅客機A380を32機を約1兆円で追加発注し、総数90機とするというニュースが載っていました(残念ながら日経電子版にはリンクが張れません)。

S2009_03315 私も、ここ数年、毎年アフリカに行っていますが、ドーハやドバイなどで乗り継ぐ便をよく利用します。ドバイの空港ターミナルの巨大さには圧倒されます。まず、その広さです。端から端までは数キロあるのではないかと思われるくらいです。免税売店も豊富で、写真のように高級車まで並べています。もっともここで車を買う人はいないでしょう。ドバイの経済発展、豊かさを印象付ける一種のショーケースと見た方がいいと思います。

それ以上に驚くのは、駐っている飛行機の多さ、行き先の多様さです。中東、南アジアはいうまでもなくヨーロッパ、東アジア、それ以上にアフリカ方面への接続便の多さです。

S2009_03314_3 以前は日本からアフリカに行く場合には、ケニアなどの東アフリカでもヨーロッパ経由が普通でした。現在ではドバイやドーハ(カタール)乗り換えが普通です。ドバイのエミレーツ航空、カタールのカタール航空、アブダビのイティハド航空がこの地域で急成長の過程にある代表的なエアラインで、3社とも日本に乗り入れています。機内サービスもよく、評価も高いと思います。

最新号(6月5日ー11日)のロンドン・エコノミスト誌が"Rulers of the new silk road" という特集を組みこれら中東のエアラインの急成長を論じています。急成長の要因としては、乗務員、特に客室乗務員の賃金が低く抑えられていて価格競争力があること、空港の用地取得・拡張が容易であること、アジア・中東を結び、世界のほとんどの地域とノンストップで結ぶことができるロケーションの良さなどをあげていますが、この中で一番重要なのはロケーションでしょう。これら中東のハブは中国、インド、中東、そしてアフリカと現在発展しつつある、あるいは今後発展するであろう地域の核(ハブ)となるような場所にあります。中東、特にドバイはリーマンショック以降陰りはあるもの世界の金融の中心地として発展しつつあります。南アジアやアフリカなど国際的な労働力移動の送り出し側とヨーロッパなどの受け入れ側を結ぶ位置にもあります。広大なドバイの空港ターミナルビルでは、毛布にくるまって接続便を待つ労働者の姿も見られます。まさにグローバリゼーションのハブであることを実感します。

エコノミスト誌は「中東のエアラインの発展は、(欧米や日本の)既存のエアラインには脅威かもしれないが旅客には朗報である」と付け加えています。かって、シルクロードの交易を担ったのはアラブの商人でした。中世から近世にかけては中東、インド、中国の世界の総生産に占めるシェアは圧倒的だったのです。そのような時代に今戻りつつあるのだ、と考えれば不思議ではないのかもしれません。これも、「新しい国際秩序」を象徴する現象の一つです。

2010年6月 5日 (土)

コートジボワールの国民再統合とサッカー

昨日のサッカー、日本は完敗でした。コートジボワールは2006年のワールドカップが本大会初めての出場で、それ以前は予選敗退、不参加が続いていました。

コートジボワールおよびその首都アビジャンは西アフリカのフランス語圏地域でも、セネガルの首都ダカールと並んで経済的な中心地で、アフリカ開発のための開発資金供給を担うアフリカ開発銀行(African Development Bank: AfDB) の本部がおかれました。しかし、1990年代以降、政情不安が続き、2002年に発生した内戦によって、反乱軍が占拠する北部と南部の実質的な分断状態した。開発銀行も2003年に、「暫定的に」本部をチュニジアの首都、チュニスに移転しています。

その後、2007年に和平プリセスの合意がなされ、現在2010年中の大統領選挙に向けた交渉、調停が行われています。状況の安定化に伴いアフリカ開発銀行では本部をアビジャンに戻すかどうかの議論が行われているようです。

今回、コートジボワールのワールドカップ出場は、同国にとって特別な意味があるはずです。これは、南北の分断を克服しつつあるコートジボワールとしての「国民統合の象徴」としての位置づけです。日本がコートジボワールに(強化試合とはいえ)勝利の機会を提供したことは、同国の国民統合に勢いを与えることができたと思います。その意味で、ODAにも勝る国際協力としての意義があったと言えるかもしれません。

2010年6月 1日 (火)

インドネシア・森林資源管理とガバナンス

「違法伐採をやめよ」 

これはインドネシア、スマトラ島の北端にあるバンダアチェの空港の掲示です。2007年8月に津波被害地の支援活動に参加したときに私が撮影したものです。S2007_080601

インドネシアではパームオイルなどの生産のために、森林の伐採が進行し、世界第3位の二酸化炭素排出国と言われるようになっています。もちろんインドネシア政府も状況を放置していたわけではなく、法規制を導入するともに、写真に見られるように啓発活動を行ってきました。しかし、違法伐採が依然として横行し、さらに森林伐採の許認可をめぐる腐敗などが指摘され、森林保護の実効性が問われてきました。

5月27日のNYタイムズCNNなどで、インドネシア政府が2年間森林伐採および泥炭地開墾の全面禁止(モラトリアム)を行うとともに、これに対しノルウェイ政府が10億ドルの資金提供を行う合意がなされたことが報じられています。これは「森林減少・劣化からの温室効果ガス排出削減(Reducing Emission frm Deforestation and Forest Degradation: REDD)」という枠組で行われるものです。10億ドル(約900億円)という金額の大きさには驚きます。詳細情報はまだ入手できていませんが、規制能力の向上、森林資源に依存する人々の生計向上などさまざまなプログラムが実施されるものと思います。ただ、NYタイムズは実効性がある規制ができるかどうかに懸念を示しています。

資源の管理は、全体のシステムを適切に運用しアカウンタビリティーを確保しなければ維持できません。また関係者全員が規制の意義を理解し協調行動をとることが必要です。この点において、まさにガバナンスの問題です。また、個人、組織、社会の問題対処能力(capacity)が必要で、制度つくり、啓発、人材育成などさまざまな面から取り組まなければなりません。

外国から日本に帰って来ると、日本の森林の見事さにあらためて驚きます。日本では古くから入会地(いりあいち)などで厳格な資源の管理が行われてきました。日本の入会地の資源管理のありかたを、コミュニティーベースの開発と結び付けて、途上国と経験交流を行おうと活動をしているNGOもあります。先日の週末、日本三大美林の一つ、高知県の馬路村、北川村にまたがる魚梁瀬(やなせ)の森に行ってきました。追って旅行記を報告したいと思います。

インドネシアの森林伐採規制の試みはぜひ成功してほしいと思います。資源管理では成功例を積み重ねて、世界的に知識を共有していくことが必要です。現在、さまざまな分野で資源管理のグローバルな議論が行われていますが、国益がからみ、どれも一筋縄ではきません。クジラやクロマグロでは、インドネシアが森林保護で矢面に立たされていたのと同じように、日本の対応に関心が集まっています。しかし、最も重要な資源の国際管理の問題が見過ごされています。それは石油、その他の戦略物資です。特に、石油は今後予想される資源の減少局面ではさまざまな国際紛争が危惧されます。メキシコ湾の原油流出事故で、オフショアの石油開発の危険性も明らかになりつつあります。冷静、かつ客観的な議論を開始すべき時に来ていると思います。

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