2012年5月25日 (金)

医学に近づく開発学

開発援助に本当に効果があるのかという設問への回答は難しいです。開発援助が経済成長を促しそれが貧困削減につながっているという研究は多くなされ、これらの研究をつなげればある程度の因果関係も明らかになってきてはいますが、さまざまな条件や援助方式の限定つきです。"Dead Aid"(邦訳「援助じゃアフリカは発展しない」)のダンビサ・モヨや"White Man's Burden"(邦訳「傲慢な援助」)のビル・イ-スタリーのような援助効果に否定的な言説もまだ支持を得ています。

ここ数年、援助の実験的評価手法による効果測定が話題を集めています。RCT(Randon Control Trial: ランダム化比較試験)は、プロジェクトやプログラムの支援(介入)を受けた対象グループと介入を行わないコントロール・グループの比較を行うことによって、より「科学的に」効果の測定を行おうとするものです。このRCT手法によって得られた知見をまとめたアビシット・バナジ―(Banerjee)とエスター・デュフロの"Poor Economics”は大変面白い本で、最近邦訳も出ました(「貧乏人の経済学」山形浩生訳 みずず書房」)。ただ、このRCTによる評価にも批判が出されており、代表的な批判者の一人である世銀エコノミストのマーティン・ラヴァリオンは、RCTで検証が行われる検証は限定されてケースでしかなく、サンプルの選択バイアスが避けられるように見えても、その場でわからない要因が影響しうること、対象グループとコントロールグループの間に情報が共有されたりする「スピルオーバー」が存在すること、試験で受益する人と受益から排除される人を意図的に生み出すという倫理的な問題を回避できないこと、などを指摘しています。

RCTはもともと治療法や薬の効果を試す方法です。対象グループには本当の薬を、コントロールグループには偽薬を投与して、両グループの間に統計的に有意な差があるかどうかを確かめて治療法や薬の効果を検証するものです。ラヴァリオンの批判を薬の治験に例えると、男女、年齢などをランダムにグループに分けても、たとえば体質とか他の病気などその場でわからない要素があった場合、それらが看過されてしまうのではないか、ということです。

この話をより拡大して、開発論と医学のアナロジーにしてみたいと思います。ラヴァリオンのRCTへの批判を敷衍すると「RCTは個々のプロジェクトの有効性向上のための制度設計に役立つかもしれないが、国全体のレベルでの貧困状態の改善という視点が欠けている。それは医学的に言えば対症療法に過ぎず、全体の健康状態や体質改善につながらないことと同じだ」ということでしょう。全身の健康改善を重視する考え方を開発論で言うと「マクロレベルでの経済成長や貧困対策の実施すべきだ」ということです。ジェフリー・サックスの「ビッグ・プシュ論=援助を大量に投入することが必要」という主張は全身症状の改善を大量の薬や栄養素で図っていこうとする治療に相当します。

これに対し、援助の大量投入に否定的、批判的なイースタリーやモヨの主張は「免疫機能の強化を通じて自然治癒力を強化すべきであって、薬物の投与は免疫力をかえって低下させてしまうこともあるので有害だ」ということです。

最近病院には「セカンド・オピニオン外来」を設置しているところがありますが、それだけ治療法というものがまだ確立していないということだと思います。肝臓にはシジミがいいといわれてきましたが、最近では「シジミは鉄分が多く症例によっては肝臓に有害である」という指導に代わってきているのは一つの例ですが、知見の進歩でアドバイスもどんどん変わってきています。何十万という臨床例がある医学ですらそうですから、サンプル数が限られている開発論で処方がバラバラなのは当然かもしれません。。

RCTの意義もラヴァリアオンのそれへの批判もよくわかりますが、科学的な証拠が必要であるという点において両者は共通しています。科学的証拠に基づかない開発論や貧困削減策はいわば「怪しげな健康法」のレベルなのでしょう。しかし、科学的データが揃わなければ開発を行うべきではないというのも間違っていると思います。あえて「怪しげな健康法」であっても取り組まざるを得ないことがあるでしょう。あるいは、日常の中での健康の常識的配慮が欠かせないように、概ね正しいと思われる政策を迅速に実施すること必要です。

スーザン・ソンタグの名著「隠喩としての病」では、がん細胞を体内の反乱分子(insurgents)と位置づけています。それには科学的な根拠は全くないのですが、含意は極めて説得的です。内戦で反乱分子を武力で鎮圧したり、経済的、社会的に孤立させるのは、がん治療では手術や強力な薬物療法に相当します。しかし、このような侵襲性の高い(invasive)な治療は免疫力の低下などの副作用を伴います。反乱がなかなか収まらなかったり拡大する要因になります。根本的にはがんも反乱も、内部のファンダメンタルズを正常にし、ストレスを軽減し、バランスを正常化することが重要です。その後、ポール・コリアーとエンケ・ヘフラーが紛争のモデル化を試みました。これは膨大なデータ分析を通じて得られた知見ですが、紛争が生じる要因として「機会」と「不満」を重視しています。これはソンタグから示唆されるものを裏付けています。「機会」は譬えれば生活上のバランス失調、「不満」は肉体的、精神的なストレスに相当します。天然資源から生ずる利権などは、好きなものばかりを食べてその結果として起こる事態にそっくりです。

私も何回か入院したことがあります。入院していると担当医が学生を連れて回診に回ってきます。そのとき「医学は人の命を救えるが開発学はどうなのか・・・」と考えていました。人の命を救うための開発学を目指していきたいと思います。

2012年4月22日 (日)

ルワンダのジュノサイド

3月下旬、アフリカ3か国を回ってきました。ルワンダ、タンザニア、ケニアです。まず最初に訪問したルワンダでは、義足を提供する支援を行っているの「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を訪問して主宰者のルダシングワさんのお話をお聞きするのが主目的でしたが、ルワンダに来た以上、ジュノサイドの問題に向き合わないわけにはいきません。ルダシングワ真美さんにご案内いただいてジュノサイドの現場を回りました。Gedc0307

ルワンダの虐殺は長年にわたるフツ族とツチ族の対立がその背景にあります。武内進一氏(JICA研究所)などの研究などでも明らかなように、フツとツチは宗教、言語等の差異はなく、むしろ階級や生計手段(農業か牧畜か)などで生じてきた差異のようです。ベルギーの植民地だった時代に、植民地統治者が少数派のツチ族を「より白人に近い人種」として優遇・重用して植民地支配に協力させました。少数派のツチ族にしてみればエリート扱いされることは悪くなかったでしょう。独立後、差別されてきた多数派のフツ族が積年の恨みを晴らすべく巻き返しを図り、両族の対立は激化していきます。1994年の4月6日にフツ族出身のハビャリマナ大統領が暗殺されたことが虐殺の引き金を引きました。暗殺事件の真相はいまだにわかっていないようですが、暗殺の直後から主にフツ族によるツチ族の虐殺が開始され、マシェットという斧などで武装したフツ族が、ツチ族を手当たり次第に殺し始めたのです。虐殺の犠牲者は3か月間でツチ族を中心に50万人から100万人とされています。

Gedc0321 この虐殺は政治的に組織化された行動があったにせよ、基本的には多くの普通の人が虐殺に積極的にかかわるか加担していたことが特徴です。首都のキガリに「虐殺記念館」があり、そこに展示してある生存者の証言では「昨日まで普通につきあっていた隣人が突然武器を持って殺しに来た」という状況だったようです。また特徴的なことは教会が虐殺の舞台になり犠牲を大きくしたことです。1994年以前にもフツ族とツチ族の武力対立は繰り返されていましたが、教会の中は一種の安全地帯となってきました。虐殺が激しくなってくると、多くの人々は「教会は安全だろう」と信じて避難してきました。しかし、1994年の虐殺では教会に攻撃が加えられ、大量殺戮の場になってしまいました。

今回、キガリ近郊のニャマタ(Nyamata)とンタラマ(Ntarama)2か所の教会に行きましたが、虐殺の現場が保存されています。遺骨はまとめて安置されていますが、穴があいたり割れたりした頭蓋骨が殺戮の残酷さを物語ります。子供の小さな頭蓋骨もあります。犠牲者の衣服は現場の残されており、衣服や教会の壁にいまだに血痕が残されています。教会の中に、残ったマリア像が悲しげに微笑んでいます。

Gedc0316 このような教会における悲惨な虐殺は全土で展開されたようですが、虐殺を阻止しなかっただけではなく積極的に協力した聖職者がいたのは驚くべきことです。「ある神父は自分のパリッシュ(教区)の信者を皆殺しにすることに加担した」と今でも言われています。この聖職者たちにとって「神」とはいったいどういうものだったのか? 最低限「他者のまなざし」を見ることができなかったのか? これは人間性に対する根源的な問いかけかもしれません。

虐殺事件というのは一人のリーダーや一部の政治勢力だけで行えるものでありません。多くの人々が関わることによって大量虐殺になります。100万人が虐殺されたような場合、少なくとも数万人がその「作業」に加わらなければその実行は不可能です。ナチスの収容所の実際に「作業」を行っていたのは下級の担当者たちです。カンボジアのポルポト政権下の虐殺事件については現在裁判が行われますが、生き残っている「容疑者」はいずれも虐殺への関与を否認しています。高級幹部が自ら殺人の手を下している事例は少ないでしょう。カンボジアの場合でも容疑を確実に証拠で示すことができるのは、収容所長のドッチのみです(http://empowerment884.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/index.htmlをご参照ください)。カンボジアの多くの村には供養塔があります。そしてルワンダと同じように犠牲者の遺骨が安置されています。多くの人々は体制に協力することでしか生き残れなかったのです。生き残ったということはそれだけで何かを意味します。このような村で30年前の事件の責任追及を行うことは、せっかく安定してきた社会で「パンドラの箱」を開けるようなものなのです。

Gedc0330 カンボジアやルワンダのような状況で、ある人は自らのこれまでの憎しみを投影して積極的に協力するかもしれません。グループ間の不平等は容易に集団的な憎悪につながります。(http://jica-ri.jica.go.jp/ja/focus/jica-ri_focus_vol11.html)。カンボジアでは都市と農村の経済格差が大きく、農村が都市生活の破壊を心情的に支援したという面があるでしょう。ルワンダの場合も過去に優遇されてきたツチ族が経済的に豊かであることに対するツチ族の不満がありました。したがって、集団的な不平等の是正は途上国の公共政策の中で、紛争予防の面から重要だと思われます。

「虐殺に加担したくない」と思っていても「敵を殺さなければお前も敵だ」と黙示、明示の脅迫や恐怖心から協力するかもしれません。人間が集団を作る本質は、相互扶助や共同の防衛なのですが、集団外に対しては協力的になることもあるし敵対的になることもあります。その集団の一員として保護を受けるためには集団に忠誠を尽くさなければならない。そして、集団のメンバーかどうかをあらわす印として「アイデンティティ」が求められます。これがアイデンティティ・ポリティクスの本質で、集団がどんどん排他的になっていく危険があります。
Gedc0278 ジュノサイドとはジュノ(geno)=民族とサイド(cide)=殺人を組み合わせた言葉で、民族や部族全体の抹殺を意図した大量殺人を意味し、ナチスによるユダヤ人虐殺や第一次大戦中のトルコによるアルメニア人虐殺などに使われていました。ナチスによるユダヤ人のジュノサイドは衝撃的で、戦後その経験・知識・反省が共有されてきたことから、もうこのような悲惨なことは起こらないと長らく思われていました。しかし、1970年代のカンボジアで100万人以上の犠牲を出したポルポトによる虐殺が起こり、さらに1990年代のルワンダでも虐殺事件が発生しました。このことは、人間が虐殺を行うことは稀なことではなく、条件さえそろえば、これからも同様の事件が起こる可能性があるという新しい反省をもたらしています。

いずれにしても、虐殺の芽はどこでも誰にでもあります。自分の底に潜む「悪魔」に気がつかず、あるいは目を瞑り、自分は「善意」「正義」の側にいると信じて疑わなかった人々が虐殺に加担していったのだと思います。 同じグループの中では助け合いに熱心な人が他のグループには残酷に対応することもあり得ます。「地獄への道は善意で敷き固められている」という言葉をかみしめたいと思います。

写真説明

(1)ニャマタ(Nyamata)の教会。ここで2000人以上が虐殺されました。

(2)ンタラマ(Ntarama)の教会。現状を保存をするため屋根がかけられています。

(3)ンタラマ(Ntarama)の教会。犠牲者の衣服が残されています。

(4)キガリのジュノサイド記念館から見たキガリ市内。新しいビルディングが続々建設されています。丘陵地にあることから「千の丘(ミル・コリン)」と言われます。

(5)キガリの中心部にある、代表的なホテル ”オテル・デ・ミル・コリン」。1994年の虐殺時、ホテルのマネジャーが逃げ込んできたツチ族の避難民を匿い、命を救いました。映画「ホテル・ルワンダ」の舞台です。

2012年3月13日 (火)

国際ボランティア学会報告 (2月25日、26日)

少し遅くなってしまいましたが、2月25日、26日、滋賀県の立命館大学草津びわこキャンパスで開催されました国際ボランティア学会の概要について、あくまでも私が積極的に参加して理解したセッションと範囲という限定つきですがですが、ご報告いたします。
初日の25日の午前のセッションでは座長を務めました。5件の報告で国際協力でテーマは共通するが地域やセクターはばらばらでしたが、外部者としてのボランティアという共通項がありました。外部者はどう行動すべきか、外部者にできることは何かを議論しました。個別報告の中ではドナー主導のPRA(participatory Rural Appraisal)が、実際には援助側があらかじめ決めたプロジェクトを追認させるような形で使われており、真の参加型開発になっていないケースが紹介されました。いまだに「自分がやって欲しいことを人にも与える」という援助についてのナイーブな思い込みが通用しているようで、それが、援助機関レベルでのPRAの「誤用」につながっているのではないかと思います。まずは、その地域、その人々に何が本当に必要とされているか、外部者は人々の気づきのサポートに徹するべきでしょう。
25日午後の陸前高田市長や辻元清美参院議員らをお招きしての公開シンポジウムではアクターの連携が必要という基本ラインが見えてきたと思います。ご家族も亡くされた中で地元の復興を熱く語る陸前高田市長に共感しました。夕方のラウンドテーブは被援助国としての日本がテーマで、外務省のいうような「これまでの日本の援助が日本に対する支援につながった」という議論に私からあえて異を唱えました。キリスト教やイスラム教の世界では援助や連帯は「絶対者にたいする応答責任」として位置付けるられており、仏教で「喜捨」という考え方がの多くの文化で、援助にそのような互酬性はないと思う(したがって国際社会の協力や連帯のシステムそのものにコミットして日本を含む世界全体のリスク耐性向上を目指すべき)というのが私の問題提起です。
26日午前のセッションでは私自身の報告を行いました。アフリカなどで進みつつある援助調和という論点に関連付けて、様々なアクターの調整を行うモデルケースとして石巻の復興支援協議会の例を分析しました。質疑応答ではむしろ復興支援協議会での議論の例として紹介したボランティアによる民業圧迫の問題に議論が集中しました。ボランティアにはかえって復興や発展の阻害要因となってしまう"Do no harm " 問題があります。これは大きな論点ですので、引き続き研究していこうと思います。私の報告に引き続いての発表では、支援を媒介したインター•ローカルの関係性が議論になりました。日常から構築されてきた関係性が重要であり、また支援活動を通じ形成された新たな関係性も重要です。しかし、一方ではボランティアによる民業圧迫などの問題あり、市場、企業、ボランティア、行政などの関係の整理しながら進めて行くことが必要と思います。
26日午後の最後のセッションは「震災復興における学生への期待と大学の役割」をテーマとし、東北学院大学の報告、岩手県立大学の現役学生による「いわて銀河ネット」の報告などが行われました。岩手県立大学の学生は大学が動く前にまず学生で動き出して、災害後数日で学生が釜石市のボランティアセンター支援に駆けつけました。そのあと、全国の学生の受け入れプロジェクトを開始して現在に至っています。なぜ、岩手県立大学の学生が迅速に行動できたかといえば、普段から地域とつながる活動を行ってきたことが重要なファクターです。平時と緊急時のつながやネットワーク、関係当事者の情報交換や調整、これが、東日本大震災を通じてボランティアの課題として明らかになってきたと思います。
なお、最後のセッションでも私から「PDCAサイクルのC=checkをどのように行うか」について問題提起をしました。議論の中で、被災者との関係では、目標の設定と達成、インパクトをきちんと評価しなければならないという、明確な方向性が出たと思います。しかし、学生のボランティア活動の評価は別問題で、何を基準に評価すべきか、そもそも評価すべきかどうかについては、わからないことが多く今後の研究課題です。
全体として、たいへん有意義な大会でした。実行委員長をはじめとして、運営関係者の皆様に厚くお礼申し上げます。

2012年2月13日 (月)

国際ボランティア学会第13回大会「震災・ボランティア・コミュニティデザイン」

昨年2月19日、20日に、私が実行委員長を拝命いたしました国際ボランティア学会第12回大会を文教大学湘南校舎で開催しました。早くもそれから1年が経ちました。その節は皆様にご協力いただきまして大変ありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。

前回の大会直後に東日本大震災が発生し、この一年、日本全体のボランティアの中心的な関心は、被災地の救援と、復興、生活再建でした。私自身も6回現地に入り、ボランティアに何が出来るか、考えるところが多かったです。

今年の国際ボランティア学会第13回大会では2月25日、26日の両日、立命館大学(草津キャンパス)で開催されます。全体テーマは「震災・ボランティア・コミュニティデザイン」東日本大震災にあたって、ボランティアがどのような働きをし、どのような課題があり、期待は何かなどをメインテーマとしてとりあげ、これまで震災支援に直接、間接に携わった関係者、研究者による幅広い議論を行います。関心がある人もいると思いますので、ご案内致します。

大会の概要は以下のとおりです。

【日時】2012年2月25日(土)、26日(日)
【会場】立命館大学 びわこ・くさつキャンパス(BKC)
〒525-8577 滋賀県草津市野路東1丁目1-1
JR南草津駅よりバス約15分
【テーマ】震災・ボランティア・コミュニティデザイン

この中で二つの公開イベントが開催されます。

一つは25日(土)13:30〜15:30のトークセッション(公開シンポジウム)で、「震災・ボランティア・コミュニティデザイン」をテーマに以下の方々をお迎えします。
辻元 清美 衆議院議員(予定)
戸羽  太 陸前高田市長(予定)
荒井  優 公益財団法人東日本大震災復興支援財団 専務理事
中村 安秀 大阪大学大学院人間科学研究科国際協力学教授
大西 健丞 ピース・ウィンズ・ジャパン (コーディネーター)

もうひとつは26日(日)13:30〜 の学生ボランティアフォーラム(公開フォーラム)「学生は地域に愛着を持つのか?〜風の人・土の人とボランティア」です。 全国の学生ボランティアや石巻専修大学、岩手県立大学など被災地、被災県の大学が参加を予定しています。

なお、私も25日のパラレルセッションで報告します。報告テーマは「災害ボランティア:開発協力からの視点」で、援助協調の問題を取り上げます。先日SRID(国際開発研究者協会)のジャーナルに小職が投稿した内容が下敷きになっています。http://www.sridonline.org/j/index.html
大会は学会員でなくても臨時会員(一般4000円、学生2000円)で参加できます。また、上記公開イベントは無料です。災害とボランティアの問題状況について意見交換や議論をする良い機会だと思いますので、ご紹介いたします。

詳しくは大会WEBサイトをご参照ください。
http://isvs.hus.osaka-u.ac.jp/conference.html

林 薫
文教大学国際学部

2012年2月 7日 (火)

面白い話には要注意

2月に入ってから、Facebook(FB)に「飛行機の中での出来事」というストーリーが立て続けに書き込まれました。黒人男性の隣に座るのは嫌だといった白人女性のクレームに対し、CAが黒人男性をファーストクラスに移動させることで問題の解決を図った、というもので、お読みになったかたも多いと思います。

最初は面白い話と思っていましたが、同じ情報が多数アップされるようになったので、不審に思い、裏がとれないか探して見ました。私が判断したところでは現時点で95%程度の確率でいえることは、次のようなことだと思います。
(1)類似の話は以前からインターネット上で流通しており、今回が初めてではない。
(2)場面(航空会社等)を変えた様々なバージョンがあるらしい。
(3)背景となる事実が存在するかどうかは確認できない。

要は作り話である確率が高いということです。ただ、作り話だと断定もできません。この議論は既にFBで行われていますが「実話でなかったとしても良い話で、良いメッセージが伝わっているのだから問題ないではないか」という反応が予想以上に多いのに驚きました。私は、どんなにいい話であっても、実話ではないかもしれない情報が実話のようにして広がることにこそ問題があると思います。

もし作り話であることを明記しており、大部分の人がそれを分かっていれば多分問題は少ないでしょう(ないとは言いません)。世の中の教訓物語はすべてそのようなものです。しかし、事実と紛らわしければ、事態は深刻です。事実として流布された情報が固定観念となり、世論に影響を与えて、国の政策や国際関係まで歪めかねないからです。今回のFBの情報でも白人女性=X、黒人男性=Yとし、ここにさまざまな民族名や集団名を代入するだけで、いくらでも意図をもった物語を作ることができます。

より一般的にいえば、検証されていない、あるいは前後関係(文脈)から切り離された物語(narratives)や逸話(anecdotes)が一人歩きすることに大きな危険があるということです。実は、私の専門分野である国際開発でもこの危険はかなり昔から指摘されています。途上国での開発プロジェクトやプログラム、政策の実施や成否は個別の地域や状況に依存するものが大部分ですが、実施判断に際し、ジャーナリストのレポートや少数の事例から導き出された物語(Narrative)に依存することが多いのです。この点については、私の論文で論じたことがあります。

メールやブログなどのコミュニケーション手段の発達がもたらした効果は、もし質の高い参加者が得られれば、単純な言説に依拠した政策形成が避けられることです。例えば、マイクロファイナンスは1990年代には貧困対策の「打出の小槌」のように喧伝されていましたが、今ではマイクロファイナンスの知識が普及し、一方でさまざまな実施面や政策面の問題点も明らかになり共有知識化されています。これは、ネットワークで情報と知識が迅速にシェアされることで可能になったともいえます。私が1999年以来関わっている、GDN(Global Development Network)は、このような環境を活用して、学術的・科学的な研究と政策形成を結びつけていこうというイニシアティブです。

ネットワークで多くの参加者が議論を重ねていく過程では、極端に単純で先鋭的な議論が影を潜め、さまざまな条件の違いから一般化が困難であることが明らかになってきます。議論は角が取れますが、わかりにくくなります。一方で、政治家や選挙民は単純でわかりやすい説明を求めてきます。これは、科学的根拠に基づいた政策形成を行う上でかなり難しい矛盾です。「単純でわかりやすい」説明への需要の高さが、事実と紛らわしい作り話がTwitterやFBなどを介して侵入してくる隙間をつくるといえます。ワイドショーが人気がある理由もここにあります。研究者の役割は、事実とその評価、真偽を見分ける難しさに対して警鐘を鳴らし続けること、面白い単純な話を面白くなくすることだと思います。

2012年1月21日 (土)

一国二制度

大学9月入学への期待と懸念

日本の大学の年度が4月から始まるのが世界的に見ればかなり特異であり、それがまた研究や教育の国際的交流や連携を妨げていることは、大学人である私自身も痛切に感じています。東京大学が5年後に9月入学制に移行することを決定し、かなり多くの大学がそれに追随することを早くも表明しています。一方で、教育系大学など、9月入学制を困難とするか反対を表明している大学もあります。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120121-OYT1T00073.htm

問題はもし9月入学の大学と4月入学の大学が並存した場合に何が起こるかです。

「9月大学」は当然、グローバルは研究、教育に重点を置いていくでしょうから、グローバルな人材も育っていく一方で、「4月大学」では国内の教員や公務員、国内展開の企業などへの人材を引き続き育成していくことになると予想されますが、これは「労働市場の分断」をもたらすことになるでしょう。グローバルに展開する企業は、特に幹部候補社員に関しては「9月大学」から優秀な人材を獲得しようと躍起になるでしょう。大学側の人材育成戦略もそれに沿ってどんどんカリキュラムを国際化していきます。一方、地方公務員や教員、あるいは新卒を大量採用する国内流通企業などは、そのようなグローバルな人材が必ずしも必要ないと考えれば、わざわざ手間と費用をかけて採用の仕組みを変えるより「4月大学」から従来通り「新卒一括採用」していくと思います。また「4月大学」は、国内の就職に有利であることを就職支援、さらには学生募集の売りにしていくでしょう。

これが続けば、「9月大学卒」と「4月大学卒」で別の労働市場が出来ます。企業も幹部候補は「9月大学」から、一般社員は「4月大学」からという選別をするかもしれません。これは、所得と階層の分化、さらに日本の戦後社会が封印してきた階級社会への道を開くものになるでしょう。

このような分断は政治的な争点のフレーミングを変え、政界再編につながります。「9月」グループは国際競争や市場メカニズムを重視していくでしょう。今の争点にあてはめればTPP賛成派です。これに対し「4月」グループは国内システムの維持、保護主義。平等重視に向かうでしょう。TPP反対派です。これは政治的な争点を明確にする効果はありますが、政治的分断・対立も激しくなるでしょう。

このような分断をどのように捉えるかです。まずは、社会の安定、特に日本の戦後の経済発展の前提となった社会的一体性(social cohesion)を破壊するという懸念です。一方で、これは、これまでもあった格差を顕在化し、平等主義というフィクションを壊しただけで、本質が変わるものではないという見方も出来ます。

グローバルな環境への対応は不可避ですが、一方で、日本社会の仕組みを簡単にかえることができないことも事実です。グローバルな競争に打ってでなければ日本の繁栄を維持することは困難ですが、グローバル競争の緊張に全員が耐えられるわけではありません。

この解決の妙案はすぐには思い浮かびません。ただ、一つヒントがあります。それは中国(香港・マカオと本土)で採用されている「一国二制度」です。都市と地方が同じ土俵で勝負できない、ということならば、いっそのこと国を「都市日本」と「地方日本」で分けてしまう方法です。香港ドルと人民元のように通貨も別にして異なる政策を採用する。こうすれば地方の産業が「円高」の影響を受けることも少なくなります。TPPも地方には適用されない。ただし、為替レートの関係もあり、「都市日本」と「地方日本」の所得格差は相当大きくなります。「地方日本」は低賃金、低生産コストが武器になって行くわけです。この格差を是正するためには、「都市日本」から「地方日本」に援助をすることができます。もし「地方日本」が開発途上地域との認定を受ければ、それは政府開発援助(ODA)になり、「都市日本」は一躍援助大国になれます。

もちろん、このような国の分割は非現実的でしょう。ただ、中国から示唆されるのは「一国二制度」の流れで「一家二制度」「一人二制度」という構想ができることです。実はこれは10年ほど前に中国の文献で見たことがあるのですが、残念ながら今回出典を発見することはできませんでした。

「一家二制度」というのは夫婦の片方が外資系で働き、ハイリスク・ハイリターン(収入は多いがいつクビになるかわからない)の仕事をする一方、片方は公務員などの賃金は低いが安定した職業についているという仕組みです。これなら、グローバル競争への対応と国内システム維持が一家族という単位で並存し、リスクヘッジをしてセーフティーネットを確保することが出来ます。「一人二制度」というのは、それを一人が五時までと五時以降で使い分けるやり方です。

「9月大学」と「4月大学」に分かれたら、という思考実験は、二つの制度が並存したらどうなるかを考える試みでしたが、大学だけではなく、国全体としても、もはや一つの制度だけではやっていけなくなるのではないかという結論が示唆されています。課題は、その二つの制度の間の断層線を明確になることの問題です。モザイクのように社会に二つの制度を分散させ、社会的な分断を最小限にするのが一つの方向性だと思います。そのためにも、「一家二制度」、「一人二制度」はさらに検討、研究する余地が大きいと思います。例えば、ウィークデイは外資系企業でバリバリ働きながら、土日はボランティアで地域社会に参加するというは「一人二制度」だと思います。この問題は、従って、企業、市民、公共部門の関係をどう再構築するかという争点につながって行きます。

最後に、半分ジョークですが。上の提言からいえば「9月大学」出身者と「4月大学」出身者が結婚して家庭をつくることで安定化を図ることになりますが、問題はこの二つの大学に通う学生をどのように出合わせるかです。一つの大学の中で出会いが自己完結していると、結局、世代を越えて、国際派と国内派の対立を拡大再生産するだけです。解決方法は「合コン」の奨励です。半分ジョークでないのは、今後TPPなどのグルーバルな状況に対応するにしても、個々の企業、家計レベルの応じた政策による支援が必要であり、そのためには「合コン」の設定のような、ものごとを可能にする環境(enabling environment)の構築と提供を考えていかなければならないということです。

2012年1月 6日 (金)

新年のご挨拶と本のご紹介

あけましておめでとうございます。

昨年は私も被災地支援に携わり、このブログも震災のテーマ一色になってしまいました。今年も、また支援活動を続けていきますが、今年こそ復興へ向かって本格的に歩み出す一年にしたいと思います。また、これまでの経験から、災害復興の経験から途上国への開発協力に応用できる知識を整理し共有することにも取り組んでいきます。

Economic_and_policy_lessons さて、新年早々、(恥ずかしながら)共著書の宣伝をしたしたいと思います。このたび、“Economic and Policy Lessons from Japan to Developing Countries ”という本がイギリスのパルグレイブ・マクミラン社から発行されました。これは国際開発学会20周年記念事業の一環として企画され、豊田利久先生(神戸大学名誉教授・国際開発学会前会長)、西川潤先生(早稲田大学名誉教授)、佐藤寛先生(アジア経済研究所・国際開発学会現会長)の3名の先生方の編集によるものです。総勢15名の執筆陣の末席に私も加わりました。

この本は、日本の開発経験を今日の途上国の開発に何らかの形で活かせる形で発信したい、という目的意識のもとに、マクロ政策、産業政策、国土開発、農村開発、教育、公衆衛生などの分野における日本の開発経験をまとめたものです。日本はかなり貧しい途上国から先進国へ発展してきた経験を有しているところが、他の先進国とは異なるユニークな点です。しかし、途上国としての経験の記憶は遠い昔の話になりつつあり、また当時を知る人々の数も少なくなりつつあります。今、この時点で、日本の経験をまとめておくことは、世界的な知識の共有という点で大変意義があると思います。

私が担当したのは対外援助の部分(第11章 "Integration of Global Concern into ODA" で、戦後の賠償から日本の対外援助、国際協力がどのように発展してきたかということを、大きな国際関係の枠組みの中で論じています。題名が示すように、ODA政策を、単に国益追求の手段としてではなく、国際社会の一員として「公共財」としての援助を提供するという方向へどのように舵を切ってきたのか、あるいは十分に舵をきることができなかったとすればそれはなぜか、というのが私の論じた点です。日本の場合には、「国民国家」としてのフレームに制約されることが欧米ドナー(援助国)より多いことを、歴史的経緯も含めて指摘していますが、結論としては、グローバルなアジェンダ・課題をどんどん取り込み、援助協調や対外政策の一貫性の確保に取り組んで行かなければならないことを強調しました。これは、中国やインド、タイなどの新興ドナーへ向けたメッセージとしても意識しています。昨年暮れに、韓国の釜山で開催された援助効果向上のためのハイレベル・フォーラムでは、これら新興ドナーも伝統的なドナーとともにより有効な援助のために協力する方向が確認に向かうことが確認されました。よい方向へ向かっていると思います。

政府開発援助(Official Development Assistance)という国際的に定義が決められている用語が、国家の機能・役割を前提に置いていることからも明らかなように、17世紀に形成された主権国家、19世紀以降成立してきた国民国家、これらの国際社会の枠組みの中で、開発援助・国際協力は実施されてきました。現在では、国境を超えたヒト、モノ、カネ、情報の動きが世界を動かすようになり、ODAも時代遅れになっていると指摘されることもありますが、一方で、ユーロをめぐる現在の混乱を見ればわかるように、一国の主権や国民としての意識を乗り越えることは依然として容易ではありません。この緊張はしばらく続くでしょう。10年前に現在の世界が予測できなかったのと同様に10年後の世界を予測することは困難ですが、何がグローバルな課題で、その問題解決のためには、具体的に、どのようなリソースをどのように活用していくのか、実践的な処方箋が求められています。理念や理想も重要ですが、それだけでは何も解決できません。「言い放しの言説」ではない、具体的な政策提言をこのブログでも模索していきたいと思います

2011年12月29日 (木)

ファンジビリティー (政策の目標と効果の検証)

子ども手当に関する厚生労働省の調査結果が報じられています。これによれば、子ども手当を受けとった人のうち、78%が子どもの生活費や教育費などに使用したと回答している一方で、「子供に限定しない生活費」(22.3%)や「大人の遊興費」(1.5%)などという回答もあります。「未定」も16.5%に達しています。複数回答であることもあり、ここから政策の効果を検証することは難しいですか、もし政策の効果を測ろうとするのであれば、このような問いかけは効果の検証手段としては必ずしも十分ではありません。

まず、ひとつの問題は、「ファンジビリティー」(fungibility)です。これは「金に色目はない(Money is fungible)」由来しますが、手当の効果を把握するためには、支給された金額そのものの直接の使い途ではなく、手当が支給されたことにより、家計の支出項目の全体構成がどのように変化したかをチェックすることが必要です。例えば、支給された金額そのものは、即座に生活費やローンの支払いに使われてしまったとしても、家計全体としては一定期間(たとえば一ヶ月間)の子供への支出が増えるか、減少を食い止めることができたとすれば、そこには「家計の子供への支出を支援する」という政策効果が認められます。これまでの収入に加えて付け加わった手当、貯蓄などの資金源をどのような使途に配分しているか、手当が追加されたことによってどのような変化が生じているかを見ることが政策の効果を確認するために必要な検証だと思います。但し、このためには詳細な家計調査が必要です。厚生労働省の調査は、速報ベースを目指したものであり、そこまで行う時間も費用もなかったと推察されますので、別に今回の結果にケチを付けるつもりはありません。

「ファンジビリティー」は国際協力/開発援助の関係者の間では、特に援助の効果を検証する文脈でよく議論になる問題です。ドナーが援助してプロジェクトが計画通り完成したとしても、支援を受けたことによって途上国の側で浮いた金がどのような使途に使われるかを見ていかなければ不都合な結果を生じることがあります。教育や保健衛生に支援し、それらの支援自体は効果が確認できるとしても、支援を受けたことにより側に余裕資金が生じているならば、それが無駄な公共事業や軍備増強などの不適切な用途に使われてないかチェックが必要です。不適切な予算管理を放置すれば、やがては教育や保健衛生プロジェクトにも長期的に維持管理資金不足等の影響が及んできます。

このことは、子供のお小遣いの例を考えればよく理解出来ます。100円しか持っていない子供がいて、その子供が100円のノートと100円のチョコレートを欲しいと思ったとき、お母さんにノートとチョコのどちらをおねだりする方がお小遣いを確実にもらえるでしょうか。答えは明らかにノートです。お母さんは、勉強のためにノートを欲しいという「よい子」を支援するためにお金を渡して、結果的には子どもの肥満、虫歯のリスクを高めているかも知れないのです。

開発援助の世界では、このような問題意識から、非援助国の財政全体を透明化し、全体としてどのような開発政策の目標を立て、そのための必要資金を積算し、資金ギャップを援助などで支援していく方向に進みつつあります。このためのツールとして「公共財政管理」の手法が広く取り入れられて来ていますが、これについては話が長くなるので稿を改めたいと思います。最も重要なことは、政策の目標(ゴール)、成果(アウトプット)などを明確にして、何をどれだけ達成するかという、指標とその入手方法を最初に確認し、その上で政策選択を議論すべきということです。限られた資源のもとで成果をあげるためには一つ一つの政策的加入とその効果についての十分な検証が不可欠です。

子ども手当の場合には、子ども手当法にはその政策目標として「次代の社会を担う子どもの健やかな育ちを支援する」ために「給付を行う」ことが示されていますが、極めて抽象的です。ただ、制度の趣旨に鑑みれば「家計の子供への支出を支援する」(アウトプット)ことによって「少子化問題を緩和する」(アウトカム)、さらに「長期的に少子高齢化にともなう経済・社会の深刻な問題を緩和する」(ゴール)ことが政策体系と推定されます。しかし、このような政策目標、されに指標やその入手手段が明確に示された上で議論が行われているわけではありません。それが、不毛な政治論争を生み出し、政策が政争の具となり、ポピュリズム(人気取り)に囚われる土壌を作り出しています。

政策目標が何であり、それをどのような手段で実施して行くのが最適か? 具体的、科学的な証拠(エヴィデンス)に基づいて客観的な議論を積み重ねていくことを通じてしか、適切な政策形成を行なっていくことはできないと思います。このような、政策形成にまず必要なことは、国民の側で、「需要」を作り出すことです。政治を国民の手に取り戻すということは、とりもなおさず、国民の側で政策に関する理解を深め、目標や効果の検証を冷静に考えなければなりません。そのために役立つような情報や見方をこのブログでも引き続き提供して行きたいと思います。

<付記>
今回の調査結果で、全体の家計の変化を聞いていないのは残念ですが、子ども手当受領によって生じたコミュニケーションの変化を聞いていることは大きく評価されます。この中で「子供を増やす計画を立てたかどうか」という設問に対して、「非常にあてはまる」「ややあてはまる」という回答は計13.6%、「ややあてはまらない」「まったくあてはまらない」の合計は69.2%です。この結果から。「少子化対策としての効果は小さい」と見るか、それとも「10%以上の回答者が子供を増やすことを検討中なのだから、大きな効果だ」と評価するかは難しいところです。

2011年12月13日 (火)

被災地のインフラの復興 企業の役割と政府の機能

Dsc_0080 4月以来、何回も現地に赴く中で、いくつか気になっていることがありますが、その一つがインフラ、特に鉄道の復興です。三陸沿岸の被災した大部分の区間、特にJR線はまだ一部を除き本格的な復旧作業に着手されていませんし、復興に向けた意思も見えてきません。。一方、第3セクター企業として地元の自治体や企業が出資する三陸鉄道からは復興へ向けた意欲と熱意が伝わってきます。

Dsc_0030 11月19日、20日の両日、盛岡市で開催された日本評価学会に出席しましたが、この機会を利用して、岩手県の三陸沿岸に行ってきました。時間が半日しか取れなかったので、具体的な支援活動に参加はできませんでしたが、部分的に営業を再開している三陸鉄道に往復乗車することで何がしかの支援することとしました。早朝の新幹線で東京駅を出発して盛岡に約2時間半で到着しましたが、ここで、山田線の11時過ぎの快速列車を待ちます。実は、11時過ぎのこの列車が、盛岡から宮古に向かう始発列車なのです。宮古は岩手県の三陸沿岸では陸前高田、大船渡、釜石と並ぶ主要都市の一つですが、県庁所在地の盛岡と結ぶ山田線の列車は一日4本しかありません。盛岡と宮古間は並行する国道106号線のバスが、一時間に一本以上運行されており、主要な交通機関になっています。対する山田線は、バスと比べて所要時間でほとんど差はなく、運賃はむしろ安いくらいなのですが、まったく競争になっていません。「やる気がない」と言われても仕方がない状況です。実はここに、地方の交通を維持するための現行制度の根本的な問題があると思います。

山田線、あるいは今運休している被災地の線の多くはJR東日本線です。JR東日本はいうまでもなく株式が全額公開されている民間会社で、株式会社である以上、株主利益を図らなければなりません。「駅ナカ」など最近のJR東日本のビジネスは目を見張るものもあり、黒字を続け、配当も順調です。しかし、高収益が見込めない、あるいは赤字にもかかわらず社会的要請で継続せざるを得ないローカル線がお荷物であることに疑いはありません。「できれば廃止したい」というのが本音でしょう。それは、JR東日本の経営方針の是非の問題ではなく、民間会社の内部補助で地方の交通を維持しようとした「国鉄民営化」の制度設計の問題です。

Dsc_0060 閑散とした(そのために空いていて快適な)山田線で約100キロ2時間、宮古に着いて三陸鉄道に乗り換えると、まず活気が違います。一両で運行されている列車ですが、高校生で席の8割は埋まっています。車両は「復興支援列車」と表示されて、全国からのさまざまなメッセージが掲示されています。岩泉町の小本まで約40分の乗車です。途中、田老を通りました。田老は、「万里の長城」と称された巨大な堤防を乗り越えて津波が襲い、街は壊滅しました。その田老の駅でも乗降が結構ありました。被災地の光景どこも同じかもしれませんが、鉄道が動いているという事実が人々の希望に与える効果は大きいと思います。

Dsc_0076 JR線と三陸鉄道の違いは、まず地元の出資があるかどうか、そのオーナーシップの問題です。学会で岩手県の復興担当の方ともお話をする機会がありましたが、JR線に関しては、県としても資本関係がないので関与できない嘆息されていました。三陸鉄道の復興については、第三次補正予算で復興に不可欠な交通機関ということで予算の手当がなされました。一方、JR線については「黒字会社なのだから自社で手当せよ」ということで、予算手当は今のところなされていません。被災地の鉄道の復興に、これだけの差が出てくるのは不合理と言わざるを得ません。

被災地の鉄道復興については、対立する二つの意見があります。ひとつは「日本の中枢崩壊」「官僚の責任」などの著者、古賀政明氏の意見で、鉄道とバスに資源を分散させず、鉄道は思い切って廃止してバスに一本化せよというものです。これに対し、原武史氏は「震災と鉄道」の中で、鉄道や鉄道駅がまちづくり、今後の復興に与える効果を考え、人々に希望を提供する意味でも鉄道での復興を強く主張しています。私は基本的にどちらも正しいと思います。公共交通の維持が、「穴のあいたバケツ(fiscal  drain) 」であってはいけないと思います。一方、原氏の主張するような鉄道の持つ多面的な役割や人々の心理への影響を考えれば、簡単に鉄道切り捨てを主張する考えにも賛同できません。

P3090073 最近、JRから一つの提案がなされています。それは、被災した鉄道線路をとりあえずバス専用道路として整備してバスを走らせるというものです。もちろん、これはJR東日本による巧妙な鉄道廃止作戦と見ることもできますが、この方式には大きな利点があると思います。線路復旧の場合には高台移転など都市計画の決定を待たないと線路の移設等が決められず、時間がかかり、その間に公共交通そのものが衰退してしまうリスクがあります。一方、バスを線路上で運行すれば、暫定的ルートでもコストを最小限に抑えられれ、早期に復旧が可能です。将来、都市計画が定まり、ある程度の輸送量が確保できる見通しがつけば、その時点で鉄道としての復興を考えればいいのです。実は、この方式は福島県の白河と棚倉をむずぶ路線(白棚線)で前例があります。ただ白棚線では鉄道廃止後のバス路線と市街地の発展が必ずしもマッチしておらず、この方式の利点が生かされていないと思います。

鉄道は駅で成り立っています。また、市街地は駅を中核として発展してきました。重要なことは、まちづくりとその中で公共交通をどのように町の核および地域の骨格として生かしていくかであって、それがレールの上を走るかどうかは次の課題でしょう。さらにより本質的なことは、地方の公共輸送維持を民間会社の内部補助に任せるべきかどうかを問い直すことだと思います。今や、地方のバスはほとんどが公的な助成を受けて運行されています。線路上をバスが運行することになれば、周辺のバス路線との調整も必要になります。地方の交通機関は基礎的なインフラであり、政府(公共政策)の役割である、ということを再確認、再定義することが急務になって来ています。

<写真>

(1)田老の街。巨大堤防は津波を防ぎきれませんでした。

(2)山田線 原武史氏の著書でも、観光資源としての活用が提唱されている、景色の良いルートです。

(3)三陸鉄道 復興支援列車

(4)同上

(5)福島県の白棚線。鉄道を廃止したあと専用バス道にして公共交通を維持しましたが、現在では専用道の区間は少なくなり、町外れを走る「ただのバス」化が進んでいます。都市計画や都市政策といかにリンクさせるかが、この方式の課題です(2004年3月撮影)。

2011年11月14日 (月)

物資の支援を考える

以前、学生ボランティアの指導をしながら東ティモールの孤児院や学校への支援をしていたときのことですが、学生ボランティアとしては一般的に行われている学用品や物資の支援に多くの問題があることが気になっていました。学生たちが出身の中学校や高校に呼びかけて学用品や縦笛、ピアニカなどの楽器を集めて、それを超過料金を支払って手荷物で持っていくのですが、これらの支援物資が有効に使われていたことを検証することはできませんでした。楽器はそもそも音楽の授業の中でそれを活用する仕組みがなく、短期のボランティアでは指導する体制も取れないことから、ただの「騒音源」になってしまったようです。翌年行ったときには使われずに箱に詰められていました。その他にも、世界各地のボランティア団体から支援物資が届いていましたが、使われずに倉庫のスペースを占領しているものもかなりありました。

Dsc_0602 一般に物資支援の問題は、ニーズとのミスマッチの問題とともに、現地産業に与える影響も指摘されます。アフリカでは主にヨーロッパから古着の支援などが届きますが、かなり多くの部分がマーケットで売られています。もし援助された古着がさしあたって必要なものでなければ、換金してより必要なものを購入しようとするのは、極めて合理的な行動です。しかし、東ティモールにおける古着の転売、換金に関しこのことを指摘し「転売されてもやむを得ない」としたところ、「支援者の善意をなんと考えているのか」という批判を受けました。このようなこともあってか、私は大学のボランティア指導者を2年足らずで「解任」されてしまいました。支援には熱意や善意だけではなく冷静な観察、分析も必要です。この場合、より重要なことは、このような個々の合理的行動の結果として全体に及ぼす効果、たとえば古着のマーケットの存在が、国内の縫製などの繊維産業に及ぼす影響です。アフリカでは支援物資が国内の繊維産業やその他の産業の発展を妨げ、結果として人々の貧困からの脱出にマイナスになっていいます。

Gedc0081 支援物資のもたらす問題は、現在、東日本大震災の被災地でも起こりつつあります。先週、6回目の支援活動に行ってきましたが、今回は支援物資の配布が主なミッションでした。石巻市北上町に届けられた1000箱近い衣料の支援物資を冬物を中心に住民に配布するというものです。中学校の体育館に、衣料を女性用、子供用、男性用などと分類し並べ、住民に好きなものを持っていってもらうというイベントです。これまでも支援物資の整理には行政は多くの労力を費やしてきました。支援物資の中かには、古着をダンボールに無造作に詰め込んで送り込んできたものも沢山あります。

支援が無駄だというのではありません。体育館に隣接して仮設住宅があることから。開始前から長蛇の列が出来ていました。開始すると、新品の肌着や状態がよく新品に近い冬物の衣類は飛ぶように出ていきます。衣料の支援が役にたっていることは事実です。一方で、1000箱におよぶ膨大な衣料、それもほとんどは古着の支援物資をすべてさばくことはできません。もう一度このようなイベントを行うそうですが、それでも配りきれなかった衣料をどう保管・処分するかは頭の痛い問題です。保管するにも処分するにも費用が掛かります。岩手県では賞味期限切れの食品や古い衣料などを焼却処分する方針を出したところ「支援者の善意をないがしろにする」とマスコミから叩かれてしまいました(岩手日報 10月30日)

Dsc_0615 今回、石巻の復興支援協議会の会合にもオブザーバーで参加することができました。そこでも支援物資への対処が議題になりました。石巻では支援物資をプールして、協議会に参加するメンバーが必要に応じて利用できる方法が取られてきました。現在の問題は、支援物資の配布は終了すべき時期に来ている、しかし一方でまだ大量の物資が残っているということです。物資は県全体で19万箱におよび、倉庫料は毎月数千万円にのぼっているという状況です。それだけの金額で、もし支援するのであれば新品の衣料を購入して配布したほうが効果的であり喜ばれることはあきらかです。もうひとつの議論は、支援物資を配り続けることによって、ようやく復興しかけている地元の商店など、経済に及ぼす悪影響です。あるシニアのボランティアの方が「市場経済で通じての復興が本来のあり方ではないか。ボランティアが場合によってはこれを妨げることになることを認識しなければいけない」と主張していましたが、まさにその通りです。

Dsc_0650 多くの方が「自宅で使われなくなっているものがある。捨てるくらいだったら活用してください」という気持ちだと思います。しかし、このような善意の支援には、整理、保管や廃棄というコストがかかります。今のところ、このようなコストまで負担する仕組みはありません。全国から無秩序に押し寄せる支援物資に伴う負担を「第二の災害」とする見方もあるようです。 支援物資で被災者が大いに助かることがありますのでその意義は大きいですが、必要なものが必要なところに提供され、その管理のコストが最小限となる方法を、社会的に議論して構築していくべきだと思います。まずは、支援物資のもたらす問題点について社会全体の共通認識とすることが第一歩です。イノベーションとしてインターネットを利用したマッチングの方法(管理費用を送り主の負担とする)なども考えられます。

「自分がしてもらいたいことを人にもしてあげなさい Do unto others as you would have them unto you 」という言葉が援助の"Golden Rule"として唱導され、なんと国連本部にまでその額がかかっているそうです。この"Golden Rule"が妥当とされるのはには次の二つの条件が見たされる場合に限ります;
(a)支援等の介入のもたらすポジティブ、ネガティブ両面の効果やインパクトについて十分な検証がなされていること。過去の支援について十分な客観的な評価が行われていること、
(b)支援しようとする人々と、今何が必要か、共に考えること。
この二つの条件が満たされないと、善意を押し付けたり、あるいはかって多くの国際機関が批判されていたようにひとつの支援メニューですべて対応しようとしたりする独善的な支援になる危険性が大きいと思います。

<写真>

(1)北上川を渡る国道398号線 新北上大橋。津波で北側の北上町寄りの部分が流されましたが、ようやく仮橋で復旧しました。画面左側が大川小学校の方向です。

(2)北上町の配布会準備作業。1000個のダンボール箱との格闘でした。

(3)石巻市北上町支所。ここでも多くの方が犠牲になりました。

(4)南三陸町(志津川)の防災庁舎。周囲のガレキは片付きつつありますが、町の復興にはまだ手がついていない状況です。

2011年9月 4日 (日)

復興と地域資源、外部者としてのボランティアの役割

8月24日から31日まで「となりびと」に参加して5回目のボランティアに行ってきました。今回は、宮戸島漁協の水をかぶった書類の乾燥、支援物資の運搬、7月に支援した保育園の整備の続き、農作業の手伝いなどを担当しました。保育園では7月に植えたゴーヤが大きく育ち、カーテンとして役にたっているのを見て嬉しかったです。

Gedc0208 被災地では依然として泥だしや瓦礫の撤去などの作業もあります。また、避難所から仮設住宅に移った被災者の方々の支援などのニーズも増えて来ています。このような中、高齢化や地域経済の衰退といった災害前からあった問題への対処を踏まえながら、復興への道筋を本格的に考えて支援していくべき時期に来ていることを感じます。その手掛かりは「地域資源の発見と活用」ではないかと思います。

Gedc0200 災害の数年前、私は国道45号線を釜石から石巻まで走ったことがあり、その時、それぞれの町や漁村、海岸の美しさが強く印象に残っています。確かに悲惨な災害でしたが、海は昔の表情をとりもどしつつあります。今回、石巻市北上町の本地という集落に滞在することができました。静かで落ち着いた村で、夕方や明け方の周囲の静けさと美しさは格別です。大豆畑の草刈りを手伝いながら、これはグリーンツーリズム(エコツーリズム)として発展させる余地があるのではないかと思いました。作業が終わったあと、車で15分ほどの距離にある「追分温泉」に行きました。現在は避難所となっているので宿泊はできませんが、入浴はできます。「秘湯」の雰囲気がある静かな温泉です。もし状況が落ちつけば、農作業などの手伝い、津波からの復興の現状理解、現地産品の購入、温泉などのサービスの利用を組み合わせた「地域支援ツアー」を組めるのではないか、と考えた次第です。

Gedc0187 本地での夜のミーティングの議論で、外部者の役割として「これまで活用されてこなかった地域資源に気づいたり。震災後の地元の取り組みなかから、新しい社会や生活のあり方、価値観などを見出して、世の中に発信したりしていくことができる」という意見が出ました。まさに「目から鱗」でした。ボランティアは基本的には外部者ですのでそのことの自覚を持つことは重要です。そして外部者ならではの働きができると思います。これは、現在、途上国の農村開発などへの支援で意識され議論されていることと全く同じです。

災害は悲惨ですが、他方、それがなければとても出会うチャンスがなかった人々を結びつけ、新たな機会を作りだしてもいます。今回、ボランティアに参加することによって初めて東北地方の太平洋沿岸を訪れた人も多いと思います。これが新しいつながりを生み出し、地域資源の発見と活用につながっていくことを期待したいです。ボランティアにはまだまだ多くの可能性と役割があると思います。

私自身これからもボランティアを続けますが、秋は本業が忙しいため、これまでのように毎月行くことは無理そうです。31日、アイスボックスに石巻の海産物を一杯に詰めて帰ってきました。

<写真>

(1)橋浦保育園 7月に植えたゴーヤが育ち、緑のカーテンができました。

(2)追分温泉(石巻市北上町) 雰囲気のある山の湯です。

(3)大豆畑で草取りを手伝いました。

2011年7月31日 (日)

東日本大震災(8):変化するボランティアの役割

Dsc_0258 7月22日から26日まで4回目のボランティアに行ってきました。今回は石巻専修大学に設置されている石巻ボランティアセンターでの受付のサポート、民家での作業、北上町での保育園支援などが主な作業内容でした。石巻ボランティアセンターでは、外国人のボランティア向けのボランティア保険への加入奨励やアスベスト対策の注意事項の英文説明書などを作成したりしていました。こうのような、ボランティアのマネジメントへのボランティアも重要だと思います。

個人のボランティアは以前に比べれば確実に減っています。土曜日、日曜日で個人のボランティアはそれぞれ100人あるいはそれ以下といった状況でした。これは、石巻市のボランティアセンターがホームページで「県外からのボランティアはグループや団体に限る」としていることにもよります。もっとも個人とグループの境目はあいまいです。団体やグループは毎日数百人単位で引き続き来ています。団体やグループであらかじめボランティアセンターに連絡しておけば事前に作業の必要性や優先度に従ったマッチングが可能ですので、ボランティア全体としての効率性や有効性は向上します。ただ、団体の中には、すでにボランティアセンターを介さずにニーズを掘り起こし、連絡を直接とることによって、マッチングを経ずに現場に直行するケースも増えてきているように見受けました。

作業内容についてもニーズが変化してきています。4月~5月の頃は民家の泥出し作業がかなりの部分を占めていましたが、泥出し作業で居住が可能になる家屋についてはかなり作業が進行してきていることから、このような需要は減り、代わりに仮設住宅への引っ越しの支援やそこでの生活の支援にニーズが移ってきているようです。

Dsc_0235 今回、雄勝町に立ち寄る機会がありました。雄勝町は伝統産業の硯や漁業で栄えかっては1万人以上の人口がありましたが、2005年に石巻市に合併した時点では4,600人前後、災害直前には約4,000人に人口が減っていたようです。雄勝町の中心市街地、あるいは浜辺の漁村は津波で甚大な被害を受け、現在では人影もまばらです。町内の人口は数百人まで減り、復興の目途が立たない集落も多いようです。地域経済の衰退と人口の減少はこれまでもあった問題でしたが、災害が一気にこれを加速したのです。

災害の一つの結果は、従来からあった課題を、より顕在化させ、その悪化を加速することです。高齢化や地域経済の衰退はこれまでも深刻な問題でしたが。今回の災害で一気にこれが深刻化しています。一方で、行政の対応能力は、従来からも限界がありましたが、災害後は、行政としては最大限の努力をしていますが、その限界がはっきりと見えるようになってきています。深刻化する地域の問題の中で活動し、ニーズを掘り起し、サービスを提供し、さらには政策提言を行っていく。これまでもこれらの役割がNPOやボランティアに期待されていましたが、社会的な関心の弱さとその結果としての脆弱な財政基盤から、期待される役割を果たすには多くの壁がありました。

Dsc_0262 震災で多くボランティアが現地に入り、さまざまな財政的な支援も集まった来ています。この高まったボランティアへの関心を、「緊急支援」から「長期的、持続的支援」に継続させていくことこそ、日本の市民社会の課題であり、かつ社会を変えていく大きな契機になると思います。これは言い換えれば「平時のボランティア」の発展へつなげていくということです。災害でこれだけの犠牲を払ったのですから、社会を変えることこそが、亡くなられた方々、被害に遭われた方々の犠牲を無駄にせずに、前向きに応えていくことだと思います。

<写真>

(1)保育園の支援。ゴーヤを一緒に植える。

(2)雄勝町。大型バスが流されて屋上に。周囲のがれきは片づけられていますが、人影はほとんどありませせん。

(3)多くの生徒、先生、父兄が犠牲になった大川小学校。

2011年7月 8日 (金)

東日本大震災から開発学へ(3)・世界へ発信することの意味(ドゥブロヴニクにて)

Dsc_0229 6月26日、27日にクロアチアのドゥブロヴニクで開催された、Global Development Network (GDN)の理事会に出席しました。この会議では来年6月にブダペストで開催される予定の本会議のアジェンダなどが話し合われましたが、出席者の強いリクエストで「大震災のその意味するところ」というテーマで話をする機会がありました。たいへん大きな反響があり、そのあとも質問攻めにあいました。日本の災害とその対応にここまで強い関心があるとは思いませんでした。

このGDNは経済学および社会科学的な調査研究を実際の政策形成に応用し、開発途上国の貧困削減に向けた開発政策を改善していくことをミッションにしている国際的なネットワーク活動で、私も1999年から関わっています。このようなネットワークであることを踏まえて私が強調したのは以下の点です。

(1)世界的は甚大な被害をもたらす自然災害は極めて高い頻度で発生している。2000年以降、2万人以上の犠牲者を出した自然災害は、東日本大震災を含めて7件に達している。自然災害の多くが開発地上国で発生しているが、対応能力が限られているため被害が大きくなり、貧困状況を悪化させている。したがって、災害への対応はグローバルな問題として考えるべきである。

(2)地震のメカニズムは自然科学の問題かもしれないが社会科学にも大きな課題が突きつけられている。まず、それぞれの社会のあり方によって防災や避難、復興計画のありかたは異なる。それぞれの社会の特徴、それをとりまく政治経済を十分に理解したうえで、負担可能(affordable)な対策を検討、提案していく必要がある。

(3)今回の災害で明らかになった点の一つは「社会関係資本」の重要性である。岩手県のある村(注:5月23日の記事で紹介した宮古市鍬ヶ崎地区角力浜集落など)では、資本としての堤防が建設されていなかったため、災害時には極めて脆弱な地域だと評価されてきた、しかし、住民はその脆弱性を自覚していたために、予想される被害のアセスメント、ハザードマップの作成、避難計画の策定、避難路の整備、避難訓練の実施などを協力して行ってきた。このため、人的被害は最小限で抑えることができた。資金や技術の乏しい開発途上国にとって、巨額な防災投資を行うことは困難であるが、社会関係資本に着目することにより、少ない費用でより有効な対策を講じることができるという、貴重な示唆が得られている。

Dsc_0306 要点は以上の通りですが、特に関心や質問は三番目の点に集中しました。また「日本の市民社会の対応力の大きさ」「コミュニティーが回復力resilienceの中心となっていること」などに強い関心が寄せられました。日本人にとって、日本の市民社会はどちらかといえば「弱い」というのが自己評価ですが、世界の見方はそうではないようです。これは私にとって大きな「気づき」でした。今後、来年の本会議でのテーマの一つとして検討と協議を継続することになりました。

Dsc_0184 今、日本の復興過程はきわめて困難な状況にありますが、地域や自治体、市民社会などの取り組みが、開発途上国にも応用可能な防災、減災、復旧、復興のモデルを生み出すことができるかもしれません。それは日本の世界に対する大きな貢献となるはずです。開発関係者としてこのような意識を常に持ちたいと思いますし、対外発信に積極的に取り組むことは重要だと思います。

写真

(1)今回会議が行われた、ドゥブロヴニクの旧市街。クロアチアも地震地帯にあり、この旧市街も過去地震にあったことがあります。近くは1991年のユーゴ内戦で戦火の被害を受けましたが、今は、完全に復興しています。
(2)ドゥブロヴニクは旧市街全体が世界遺産にされています。
(3)アドリア海は対岸のイタリアまで200キロ足らずであり、地震が起きても大きな津波は発生しないと、現地の人は言っていましたが、本当でしょうか?

2011年6月25日 (土)

東日本大震災(7):100日を経て

Simgp39556月17日から20日まで、「ルーテル教会支援・となりびと」の一員として3回目のボランティア活動に行って来ました。今回は、東松島市にあるNPO法人が運営する社会福祉施設で2日間、施設再開に向けたお手伝いを、また石巻の築山地区で民家の泥出しをしました。

東松島市の社会福祉施設は仙石線東名駅から徒歩2~3分の場所にあり、震災前はデイケアおよびグループホームを運営していましたが、津波が襲来し、通所していたお年寄りの何人かが亡くなりました。今、デイケアの再開に向けて様々な準備が行われています。ここに花の苗約200本をお届しました。私が自宅で5月に種をまいて育てたものですが、被災された方々に少しでも癒しになればとお持ちしたした次第です。丈夫に育って花を咲かせてくれることを願っています。

 

Sdsc_0098て、18日はちょうど震災から100日目にあたっており、各所で慰霊祭が行われました。私たちがお手伝いをした福祉施設でも100か日の法要が営まれました。周囲の家屋はまだ手つかずになっているところが多いですが、この福祉施設の再開が呼び水となって住民の方が戻って来られることが期待されます。ただ、仙石線の復旧の見通しはついていません。仙石線の東名駅、および東隣の野蒜(のびる)駅は同線沿線でも最も被害を受けた個所で、津波の直後には瓦礫に埋まった駅や脱線した電車などの写真がニュースで報じられていました。Dsc_0105

現在、 駅や線路上の瓦礫はかなり片付けられていますが、再開に向けた作業は着手されていません。この一つの理由が、地域全体で高台に移転するという計画があり、それに伴って鉄道路線もルートを変更する可能性があるためです。

Dsc_0088_2東名駅の南側には「東名運河」があります。その南の海側は大きく地盤沈下し、地図上では陸地のはずの広大な土地が海面に没しています。波打ち際になってしまった家も数多くあります。運河と駅から約1キロほど海岸に向かって道路と集落が続いてい ますが、復旧作業が行われている家屋はほとんどなく、流された車や家具が放置され3月11日の当日のまま時間が止まっています。また、各所で冠水してままになっています。地域の復興をどのように進めるか、地盤沈下対策をどうするか等に行政が早く方針を示さない限り、住民としてはどうしたらよいかわからないでしょう。

石巻の泥出し作業はこれまでもかなり行ってきましたが、今回の地区はこれまでよりも海に近く、家屋の被害が大きなところでした。再建を断念する家も多く、被災当日のままになっている場所が目立ちます。再び住むことを目指して、整備を進めている家もありますが
、隣家や地域が廃墟のままでは住むのは難しいと話していました。

Sdsc_0053 石巻の中心市街地にも足を運びましたが、復興の難しさを実感しました。中心部は地盤沈下が激しく、満潮時には道路が水面よりも低くなってしまいます。多くの建物流されずに残りましたがが、住民の方々は避難されているためか、人通りはほとんどありません。商店街も開いている店は稀で、ほとんどが休業中でした。地盤沈下に対処するための地域全体の防災が確立しない限り、昔のにぎわいを取り戻すことは困難でしょう。 

東松島市にしても石巻市にしても、地域全体の復興を図るためには膨大な資金と技術の投入が必要で、一地方自治体の能力を超えています。100日に経て、まだ明確な方針どころか、方向性も見えてこないのは、中央レベルでの政治の停滞にその責任があることは明らかだと思います。復興基本法も成立した現在、対応のスピードアップが強く望まれます。

<写真>
(1)花を植える
(2)JR仙石線野蒜駅
(3)野蒜駅の時計(3時55分で止まっています)
(4)東名駅南側の集落(ほとんど手がつけられていません)
(5)石巻市の中心部(水面の方が道路より高く、どんどん浸水しています)

2011年6月15日 (水)

東日本大震災から開発学へ・ 開発途上国と自然災害リスク(2)

3.ネパールの経験から(氷河湖決壊洪水のリスク)

前回のエントリーは少し抽象的に過ぎたかもしれません。ネパールの具体例を使って説明したいと思います。

ネパールはヒマラヤの山国ですが、水量が豊富な多くの河川を有し、その豊富な水力資源(包蔵水力が注目されてきました)。水力発電の電気を隣国のインドに輸出すれば貴重な外貨獲得源になるのです。このため、70年代から水力資源の開発調査が行われ、80年代に東部のアルン川に約400MW(40万KW)の水力発電所を建設するアルンII計画(ArunIII Project)が具体化し、私も計画が動き始めた90年代前半にこのプロジェクトを担当しました。

資金は世界銀行、アジア開発銀行、ドイツ、日本が分担することとなり、ネパール側との協議やドナー会合が頻繁に開催され、私のこのため十数回ネパールに行きました。一方で、このプロジェクトは次第に国際的に注目され、賛否の議論が起こってきました。

Scan250206 反対論はダムや道路の建設がアクセス道路が自然破壊につながること、投資額がネパールの経済規模に比較して大きすぎ、保健や教育など他の公共支出にしわ寄せを及ぼしかねないこと、アルン側沿いにだけ大量の投資が行われ、他の地域と格差を拡大しかねかいこと、大規模な発電所に発電が集中するとシステムとしてのリスクが大きいことなどを指摘していました。代替案としては中小規模の水力発電所を複数建設するというもので、これで国内のいくつかの地域に恩恵が及ぶというものです。

これに対してはプロジェクトを実施する立場から、ダムは比較的小規模で住民移転の少数であること、道路の建設によって、山間部で穀物を栽培するするような無理な土地利用が減少すること、インドへの売電は大きな外貨収入をもたらし、ネパールの貧困削減に大きな効果があること、などの反論を行いました。土地利用の改善は、山間部では穀物栽培を段々畑などで無理に行っているために土壌の侵食が激化しているのでこれを防ごうというものです。山間部では果実は薬草などの付加価値の作物を栽培し、それを売って平地から穀物を買うことにより、土地の負荷は減少します。

001098 このプロジェクトに関しては、地元住民の間でも賛成論、反対論に分かれ、地元で住民との対話集会なども行われました。また、批判されている点の投資規模の大きさは世界銀行自信も問題とするようになり、規模が2/3に縮小された新しい実施計画が立てられましたが、議論は平行線のままでした。この間、1994年には、世銀に対して、”世銀が環境配慮や住民移転について十分な配慮を行っていないので「第三者による調査パネル」を開設し、調査を実施すべし”との請求がなされ、専門家パネルによる検討が行われるになりました。

同時に、上流で「氷河湖」がいくつか存在することが明らかになってきました。氷河は寒冷期には土砂をブルドーザーのように押しながら山を降りてきます。しかし、気候が温暖化してくると、押してきた土砂を残して後退をはじめ、土砂がダムのようになって水がたまるのです。土砂のダム(モレーン)は最初は氷がセメントの役割をしていて堅固ですが。温暖化が進むと溶けて弱くなり、そしてある日決壊して大洪水を引き起こします。これが「氷河湖決壊洪水(Glacier Lake Outburst Flood:GLOF)」です。私も担当者としてこのリスクへの対処を指摘しましたが、世銀を初めとする支援国・支援機関がリスク評価を行うことになりました。1995年には専門家によりネパール領内の4500mの高地での実地調査が行われましたが、アルン川は上流はチベット(中国領)に属し、そこにも多くの氷河湖があることが指摘されていました。

001087 結局、1995年に世界銀行がこのアルンIIIプロジェクトの支援からの撤退を決め、他のドナーもこのプロジェクトへの支援を断念しました。世界銀行が判断に至った理由は、「専門家パネル」の調査報告書の指摘事項等を総合的に勘案してという以上のことは言えないと思いますが、氷河湖決壊洪水のリスクも勘案されたことは間違いと思います。そして、氷河湖決壊洪水のリスクを考えればこれは正しい判断だったと今では思います。1985年に発生したディグ・ツォ氷河湖決壊では実際にいくつかの集落とともに水力発電所が流されています。発電所があることによって被害が倍加される可能性もさることながら、国家予算への影響も心配されるほどの巨額の投資を投じて建設される発電所が一瞬にして壊滅した場合には、電力供給に深刻な影響を及ぼし貧困な経済にきわめて大きな負担を与えてしまいます。致命的なインパクトを伴う氷河湖決壊が何年に一回の確立で発生するかの評価は難しくても、その考えうる最大の被害が発電所の喪失であることは明らかです。

この後、ネパールでは、より氷河湖決壊洪水の被害のリスクがより少ない(もちろん皆無ではない)と考えられていたカリガンダキ川に、規模もアルンIII発電所より小さな150MWクラスの発電所を建設し、現在は完成し稼動しています。これは日本とアジア開発銀行が支援しました。リスクの点から考えれば適切な選択だったと思いますが、ネパールの電力不足を根本的に解消するには至っていません。その後も、私はネパールの電力当局者を話をする機会がありましたが、ネパール政府としてはアルンIIIあるいは同等の大型発電所の建設は断念してないと思います(現在は直接の関係を持っていませんので、最新の情報は把握していません)。開発を加速させ貧困を削減するために電源開発を急ぎたいネパール政府の立場は痛いほどわかります。将来、全体の設備容量が増加し、災害の際の対応に向けたキャパシティーが向上し、氷河湖の実態の解明が進めば、再度開発に着手できる可能性があると思います。リスクは管理することができますが、それは国の発展レベルやキャパシティーによって可能な場合と不可能な場合があります・

一方で氷河湖決壊洪水のリスク自体は、温暖化の進行によってより高くなっています。決壊の危険性のある氷河湖の調査が進んでいます。氷河湖決壊洪水そのものに対する防止策や被害の軽減策を考えなければならないことは明らかで、現在、世銀などによってさまざまな取り組みが行われています。

Scan250207 上記のネパールの事例は、経済的な余力の少ない開発途上国でプロジェクトを実施する場合の、リスク評価の難しさと重要性を示すものだと思います。途上国のリスク負担能力には限界があります。それを開発計画の中に反映させていかなければなりません。また、リスクそのものの軽減策を講じていかなければなりません。資金や人材に乏しい開発途上国ではそれは先進国に比べてはるかに困難です。一方で、安心、安全な生活を求める気持ちは先進国、途上国に違いはありません。途上国の場合、災害が起こった場合の回復がより困難なことを考える必要があります。日本は現時点では東日本大震災への対処のさなかにあって、とても他国への支援どころではないという意見はその通りだと思いますが、このような災害とそれへの対処の経験を、途上国と共有し、長期的に支援していくことは不可欠だと思います。

<写真>

(1)アルン川 上流は国境を越えてチベットになります。ヒマラヤ造山運動の前からこの川が存在していた証拠とされています。

(2)1993年5月に開催された地元住民との対話集会

(3)アルンIII プロジェクト最寄りのツムリンタール飛行場。舗装されていないダートの滑走路に離着陸します。

(4)アルン川のつり橋。地元の皆さんの生活路です。

«東日本大震災から開発学(Development Studies)へ・開発途上国と自然災害リスク(1)

最近のトラックバック

2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

Twitter